春繭の収穫が終わり、久しぶりに飼育以外の内容を。

 

これから数回にわたり、地元の養蚕信仰にまつわる神社をご紹介します。

たまたま登った山に養蚕にまつわる伝説がありました。そのことを調べていたら、この辺りでは大正末から昭和初期まで養蚕祈願講が行われていたのです。講の中には、これまで何気なく遊びに行っていた神社もあり、これは面白いと思いました。ゆるーい内容ですがお付き合いください。

 

講というのは、神社、仏閣への参詣や寄進などをする目的でつくられた信者の団体ですね。伊勢講や富士講が有名です。わたしが住む辺りだと三峰講を良く聞きます。この養蚕祈願講は10人くらいの講で、講金を代表者が集めて代参し、養蚕守護の札を受けました。これを神棚に上げたり蚕室に貼ったのだそうです。

 

 

 

 

 

第1回は群馬県甘楽町秋畑の稲含山(いなふくみやま)の山中にある「稲含神社(旧秋畑社殿)」です。

 

● 稲含神社(旧秋間社殿)へのデータ

交通:神の池公園前に駐車スペースあり。10台くらいは駐車可能。公衆トイレ有り。

所要時間:神の池公園から稲含神社まで、ゆっくり登って片道45分ほど。

稲含山の登山道案内パンフレット

 

 

稲含山は夫がそのうち登りたいと思っていた山でした。夫の祖母は甘楽町の隣の富岡市出身で、夫は祖母からこの山の名前を幾度となく聞いていました。富岡方面から見て稲含山の上に雲がかかれば雨が降るとか、学校の行楽行事では稲含山へよく登ったとか。この辺りに住む人々にとって、この山は拠り所なのかもしれません。

 

そんな夫も登ってみるまでは、この稲含神社に養蚕信仰があることは知りませんでした。

 

 

 

 

 

境内に稲含神社の起源が書かれた看板がありました。

"「稲含大明神御縁起」によると、この神社の祭神は印度の国から来た豊稲田姫(とよいなだひめ)とされている。豊稲田姫は養蚕、稲作を日本に広めたとあり、また姫は稲含へ行って蚕を飼ったという伝説がある。

参道途中には手水場(ちょうずば)籠岩(かごいわ)桑の木沢(くわのきさわ)という所がある。山から出てきた姫は、天熊の大人(あまくまのうじ)という人物を従えて、神池の手水場で御手を洗い、大人の命により桑を取らせて、岩の上で蚕を飼われた。それからこの岩を籠岩というようになったという。

豊稲田姫は、印度から稲の種子を持って来られるのに苦労され、どこに隠しても見つかってしまうので、口に含んで持って来られたと言われている。以来、養蚕と五穀の守神として、今も多くの人が参詣している。"

 

 

 

 

 

帰宅後、参道途中にあるという手水場・籠岩・桑の木沢がどこなのか調べでみました。甘楽町のホームページや町史、国立国会図書などもあったたのですが場所についての確実な情報は見つけられませんでした。それでも微かな情報と自分たちが登った記憶から、きっとこの辺ではないかというところを載せます。

 

上記は秋畑の登山口にある「神の池公園」です。この神池で豊稲田姫は御手を洗ったようです。

 

 

 

 

 

「一ノ鳥居」から「夫婦ケヤキ」の分岐を「神の水」方面へ登って行くと沢があります。これは神の水につながっていて、これが『桑の木沢』ではないかと考えています。

 

 

 

 

 

「神の水」が流れる場所には大きな岩があります。これが『籠岩』ではないかと思います。

 

 

 

 

 

岩の断面は蚕を飼うときに使う蚕箔(さんぱく)(平たい四角形や長方形の籠)を想わせます。

 

 

 

 

 

小さな祠が壊れていました。

 

 

 

 

 

神の水の大岩でなければ、わたしが立っているこの岩かもしれません。稲含神社旧秋畑社殿に入る寸前の岩場で、岩崎が少しひらけて平たくなっています。山下の村が見えます。烽火をあげる場所ってこんな岩かなと思ったりもしました。

 

 

 

 

 

旧秋間社殿の割拝殿。手前の杉の木に獣の爪痕らしきものがありました。登山途中で他にも見ました。かなり高いところまで爪痕があるのを見ると、熊が登ったのじゃないかと想像してしまいます。「熊出没」の看板もあるので鈴を必ず身につけましょう。

 

 

 

 

 

割拝殿をくぐると愛嬌のある狛犬さんがお出迎えしてくれます。割拝殿の下から境内を臨むと、ちょうど散りかけの桜の花びらが微かな風に吹かれハラハラと舞い降りているところでした。

 

 

 

 

 

吽の狛犬さんの横顔は牙が愛らしい。

 

こちらの祭日は5月8日です。聞き取り資料によると安中市中野谷の人の話では " 秋畑の祭りで稲含山の頂上に小さな社があって、ここにゴザを敷いてオマイダマ(米粉をこねて繭玉の形に丸めて蒸かした餅)をのせておく。参詣者がいくら欲しいというと、その数だけ分けてくれる。このオマイダマは蚕の掃立の日に養蚕担当者にウデテ(茹でて)食ワセル、翌年大きくして(2倍の大きさにして)返しに行く。蚕のお札も出している。"

 

この神社は、今は別のところに新しい社殿があります。そのため、こちらの拝殿や神楽殿の中には何もなく、ゆっくりと朽ちていっています。以前はここで神楽が舞われ、お札をもらいに参拝者がたくさん訪れたことを想うと、今の景色は淋しいですね。でも、登山の人の多くはこの社殿も訪れますから淋しいというのは違うかな。時代とともに訪問者の様子も変わりますね。

 

 

 

 

 

他、登山道は下仁田町栗山の稲含神社にも通じています。旧秋畑社殿からここまでの所要時間は20分くらいでした。

 

 

 

 

 

下仁田の稲含神社にある見晴らし台(神社から2、3分登る)からは周辺の山々が見渡せます。登ったときは曇り空で、下山途中で小雨が降ってしまいました。

 

 

 

 

 

この見晴らし台、稲含山山頂までは1370メートルです。

わたしたちの登山から下山までの所要時間は3時間弱でした。

 

 

 

 

こちらが新しい秋畑の稲含神社です。神の池公園近くの山腹にあります。

旧社殿にあったような看板はないので養蚕信仰が今でもあるのかわかりづらいです。

こちらの神楽には「蚕種の舞」があるようです。ただ毎年舞う演目ではないようなのでいつか拝見できたらうれしいです。

 

 

 

 

 

先日、このブログを書くために確認で付近までドライブしました。地図を見ていると「稲含神社里宮」があったのでこちらにも参拝しました。

 

 

 

 

 

里宮の周辺風景です。かつて養蚕を営んでいたであろう家屋がたくさん見られます。

 

 

 

 

 

里宮を探していたときに偶然見つけた「那須与一の渡井戸」です。

秋畑那須地区には村民が共同で使うこのような湧き水が数箇所あります。夫はこれらを20年前に探して回っているのですが、そのときにどうしても見つけられなかったのがこの井戸でした。この場所は里宮のことがなければ入らないような細い路地の先にありました。井戸目的で見つけるのは難しそうです。

 

 

 

 

 

夏休みに、こうした井戸を探して村内を散策させてもらうのも楽しそうです。秋畑那須には「ちいじがきの里」という駐車場があります。10台くらい駐車可能。公衆トイレ完備です。

 

 

 

 

 

井戸のところにあった道祖神に篠竹を二つ折りした飾りがお供えされていました。別の石碑にもあったので供え物でしょう。このあたりではケズリカケも見ていますから、すごく気になります。

 

 

 

 

 

山の自然石を積み上げた独特の石垣「ちいじがき」をいたるところで見ることができます。「ちいじがき」と「樫ぐね」「養蚕家屋」の風景はたまらなく魅力的です。山腹を横に通した細い路地。このように軽自動車がかろうじて一台通れるくらいの幅の道がタテヨコにたくさんあります。村道なのか人家への入り口なのかわからない。迷路のようです。