碓氷製糸さんの見学後、昼食の予約時間まで少し間が合ったので近くの富岡倉庫も見学しました。

 

 

 

 

 

ここは富岡市役所の真向かいです。富岡市役所の場所には、かつて民間の製糸会社※「甘楽社」があり、富岡倉庫の建物はその関連のようです。今もその名残を目にすることが出来ます。

 

※甘楽社・・・明治前半に地元の養蚕製糸農家が団結して創設した組合製糸。創業当時は座繰製糸で生糸を輸出した。同様の結社である碓氷社、下仁田社とともに南三社とも呼ばれた。"座繰製糸を主体とする地方の養蚕製糸農家だけの組織がアメリカ経済の動向を常に見据えながら生糸の販売割合を操作していたところに、いわゆる南三社と特別な呼び方をされた特色が見えるというものであろう(今井幹夫著、南三社と富岡製糸場より抜粋)"。

 

 

 

 

 

 

昨年まで "おかって市場"さん が入居していた建物が目的の乾燥場です。ベルトコンベアが残っています。ここから生繭を運び込んだのでしょう。

 

 

 

 

この建物奥はまだ手付かずのようで、奇跡的に乾燥機が姿を留めています。

 

 

 

 

 

古いガラス窓から中を覗くと、白壁土蔵造りの中にバンドが幾層にも見えます。

 

 

 

 

 

この図は、Silk New WaveのHPより抜粋させていただきました。熱風式多段バンド型乾燥機で、富岡倉庫の乾燥場もこのような方式のものだと思われます。バンドの上を繭が転がり、熱風で乾燥してゆきます。

 

 

 

 

建物の外には燃料として使われたであろう石炭の跡がありました。

 

富岡市のHPを探ると、この乾燥場の建築年は明治36年頃だそうです。内部の土蔵造りの乾燥機も、もしかするとその当時のものかもしれませんね。建築物として明治36年では文化財として価値は低いかもしれませんが、この乾燥機はどうでしょうか。

 

当館は製糸関連のモノが好きでいろいろ見てきましたが、明治の乾燥機でこのようにそっくりそのまま現存するのは全国でここだけではないかと考えています。そして、現存する中で最古の乾燥機である可能性が高いのではないでしょうか。

 

 

 

 

富岡市では、現在この倉庫群を新たな交流の拠点として改修をしています。そのため、" おかって市場 "さんはリノベーションした真向かいの倉庫に移転しました。シャレた空間になっています。同敷地内の他の倉庫群も続々と改修が進んでいます。そして、この乾燥場は今後どのように活用されるのでしょう。

 

わたしは富岡市民ではありませんし、情報は市のHPくらいなのですが、2017年に行われたオープンハウスのPDF「賑わい空間」の図によると乾燥機保存は考えているようです。ただ、図をみると、残す乾燥機は3列(機)のうち真ん中にある2列目のように思われるのです。

 

ここにある乾燥機は、たぶん製造時期がそれぞれ違います。外からしか観察できないので絶対とは言い切れませんが、3機の乾燥機のうちで一番貴重な乾燥機は上述した北窓際の土蔵作りではないかと思っています。PDFの図を見ると、貴重な乾燥機がある場所がブックカフェを含むグリーンの色分け部分に当たっているようです。これは、3機で一番貴重かもしれない土蔵造りの乾燥機を壊すことを意味しているのでしょうか。

 

造り付けなので、土蔵造りを移築できるとは思えないですし、そこに予算を割くでしょうか。それとも3列とも残す方向なのか、わかりづらい図です。できることなら乾燥場の機械はそのまま全て保存されることが製糸の歴史資料として一番意味があるとわたしは思います。

 

富岡製糸場を残したのに、その近くに現存している貴重な乾燥機に価値を見出せないのだとしたら悲しいし、情けないです。それに、富岡製糸場の乾燥場・繭扱場は2014年の雪害で倒壊しました。富岡倉庫の乾燥場は倒壊した富岡製糸場のものより年代が古いです。日本全国でこのように状態良く現存している明治の乾燥機はほとんど無い、もしかしたら全国で富岡だけなのかもしれないのです。

 

この3機の乾燥機を見て、手前の土蔵造りを壊したらいいやと、安易に考えているのだとしたら、おぞましいです。わたしの汚い言葉が的外れであってほしい、しっかり調査した上で判断され、乾燥機が保管されることを切に願います。