碓氷社の清掃ボランティアに行った時に、参加されていた陶芸家の岡本正規さんが「自宅に碓氷社の資料があるよ」とお声掛けくださいました。後日、お言葉に甘えて伺いました。

 

奥さまのご実家の萩原家は、碓氷社に所属していた組合の1つである『鷺宮西組』のまとめ役だったのだそうです。その資料がご自宅に保管されていました。

 

 

 

 

 

 

前回のブログにも書きましたが、碓氷社は明治11年にこの地(碓氷郡=群馬県安中市)の養蚕農家が出資して始めた製糸合同販売団体でした。所属していた組数は、昭和2年発行の「碓氷社五十年史(以下、五十年史)」によると、多い時では180除数が加入していたとあります。組の加入も最初は地元の碓氷郡内でしたが、やがて明治25年頃からは県内外へと増して行きました。県外だと、秋田・福島・茨城・埼玉・千葉・長野・東京・静岡・鳥取にもあったようです。

 

見せていただいた帳面には「鷺宮西組」や「鷺西組」の2種類が記されていました。五十年史によると、明治27年に碓氷郡東横野村大字鷺宮で設立した組で、明治35年に鷺宮西組から鷺西組に改めたとあります。大正元年までの18年間所属していました。

 

 

 

 

 

 

資料の中に生糸受入台帳がありました。

生糸を巻いた小枠ごとに番号が付いており、細かに生糸検査をしていたことが伺えます。左ページの最初の行に書かれた、工女の萩原クマさんは、この日に繰糸した生糸の出来が良かったようです。等級が「一」となっています。「テドロ」というのは生糸の太さのことで、糸の長さと量から表わすようです。現在はデニールという単位を使います。この当時もデニールの単位は使っていました。テドロって、どこの国の単語でしょう。