郡上市明宝の気良地区を奥まで進み、人家が見えなくなるところで引き返しました。帰りは別の道を通ってみました。気良地区は気良川(吉田川の支流)に沿って両側に集落が点在しているのですが、帰路は斜面の中腹を通る位置にあり、眺望が良かったです。途中、興味を引く案内板がありましたので立ち寄ってみました。

 

 気良川の右岸から左岸の方向を見る。

 

 気良川の両側は田んぼが多い。休耕田は見当たらない。

 

 人家が多い地区を見る。往路はあの集落の中を通った。

 

 川は気良川の中流部。

 

 このように人家と田んぼが続いている。

 

 この案内板が目にとまった。教如上人とは聞きなれない名前だが住居跡があるら

 しいので行ってみることにした。

 

 ところが途中の道案内もなく場所が分からない。たまたま草刈り作業をしていた

 オジさんに教えてもらい行ったのだが、道も荒れていてそれらしい場所も見当た

 らない。結局住居跡のような場所(多分違う)だけ写して退却する破目になった。

 

    そこへ行く途中に道端に咲いていたコアジサイ。

 

   カワトンボ。せめてものなぐさめか。

 

 ぶつくさ云いながら戻る途中に小さな公園があったのでそこへ立ち寄る。公園の

 前の説明書き。そういえばここ気良は名馬磨墨(するすみ)の生誕の地だった。

 

 「磨墨生誕の地公園」というらしい。磨墨については上記案内板をご覧ください。

 

     公園には特に何もないが石碑が2基あった。そのうちの1基。

 

 もう1基には郡上踊りに唄われる郡上節の歌詞が刻まれていた。その一節に磨墨

 と気良の里も登場する。800年前の気良の里を奔る磨墨に想いを馳せてみた。

 

 公園付近から見た向かい側の斜面の集落。

 

 教如上人の住居跡に向かう途中、頑丈な鉄製のゲートがありました。たまたま草刈り作業中のオジさんが「勝手に開けて通っていいよ」と言ってくれたので、開けてまた閉める手間をかけましたが、中は期待外れでした。オジさんがいなければ、ゲートを見て引き返すだけになっていたでしょうから、案内板やゲートに説明書きがあればと思いました。多分今は住居跡も荒れ果て訪ねる人も少なくなっているのでしょう。
 それはさておき、気良の里の自然と歴史の一端に触れられたことは良かったです。