ラジオを愛する我々が心から愛したノコさん、小山乃里子さんが急逝されました。
今朝、ドキハキをお借りして、メールで追悼させていただきました。
私が、初めて小山乃里子さんというDJがいらっしゃるということを認識したのは、まだ私は学生だったと思いますが、ラジオ関西のアナウンサーだった彼女がフリーになり、
私の地元京都の近畿放送(現KBS京都)で週一でレギュラー出演をしておられた時だったと思います。
大学を出て、
ラジオでおしゃべりすることを仕事にしようと決めた私にとって、
一世代上ですし、すでにラジオで活躍されていた小山乃里子さんは、遠い存在でした。
ある時、雲の上の遠い存在だった小山乃理子さんと関西TVで出会ったのです。
すぐに仲良くなり、それ以来、親しくしていただきました。
そして、お仕事のこと、たくさん学ばせていただきました。
「タエコ」「タエコ」と初めから可愛がってくださり、私も遠慮なしにいつも接してきました。
30代に入った頃、私は初めてノコさんと同じ番組の曜日違いにキャスティングされました。
ABCラジオのお昼の番組「歌謡曲ぶっつけ本番」の月曜日に決まったのです。
ノコさんは、その時安達治彦さんと水曜日担当してらっしゃいました。
(木曜日に道上さんとしてらしたこともありましたが)
小山乃里子さんと肩を並べられたんだ!!と、どんなにうれしかったことか!!
そしてその頃です。
一緒にゴルフを始めました。
回りの男性陣はみんなゴルフ、ゴルフの時代でした。
しかし、女性はほとんどいません。
コンペなどもよくご一緒しましたが、女性はいつも私とノコさんだけという時代でした。
ほんと、私の30代はノコさんの40代です。
そのころが一番一緒に遊んだかしら?
旅行もしたな・・・・。
と、懐かしいことが次から次へ、きりなく浮かんできます。
今の時代は女子アナや女性タレントのパーソナリティーが番組で大活躍できるようになりましたが、
嘗てのラジオ番組は女性は添えもの、可愛いかったらそれでOKという時代が長くありました。
ノコさんはそういう通念の女性の立ち位置を闘い抜いて変えた方です。
そのために、どれだけ勉強したり、社会経験をつまれてきたことかと思います。
経済的にも、精神的にも、一人の人間として自立する姿は、本当にカッコよかったです。
私は追い付きたい一心でいつも追っかけました。真似ました。
しかし、なかなか追い付かないままのお別れになってしまいました。残念です。
ノコさんは、ハンサム・ウーマンの極みでした。
各局でたくさんの番組をお持ちだったノコさんです。
たくさんのみなさんが各々に素敵な思い出をお持ちでしょう。
どうかノコさんを忘れないでくださいね。
ノコさん
本当に、ありがとうございました。同じ時代にお仕事できたことに感謝です。
忘れません。
ご冥福をお祈りいたします。
多恵子