星野さんの訃報に驚きました。
タイガースの監督時代の思い出が走馬灯のように駆け巡ります。
2002年、2003年当時のことを振り返ると、たくさんの映像が私の頭に甦ります。
頭に中に、ハッキリ、絵として残っている思い出を確かめようと、
PCの中に整理されている当時の写真ファイルを開けてみました。
それはそれはたくさんの写真が・・・・・。
2003年の優勝の時は、母も健在で、2人して、黄色のタイガース・Tシャツを着て、
家のテレビの前で、その瞬間を迎えていました。
手には風船が!!(笑)
母は優勝の瞬間立ち上がって、万歳しています。
元気だったなんだ~~!!って・・・・。
そして、こんな写真が!!
これは2002年2月22日、高知の安芸キャンプでの写真です。
私は当時MBSで「鋭ちゃんのあさいちラジオ」を土曜日の早朝6時から担当していました。
キャンプが始まると、中村さんはABCのおはパソ時代にしていたように、
安芸から放送をしようと・・・・。
中村さんと私は金曜日から明日の放送のために安芸に。
次の日(土曜日)に安芸のホテルの部屋をスタジオ仕様ににして、
生放送するという企画を毎年しておりました。
星野阪神一年目のキャンプ。
もう星野フィーバーで取材制限がかかっていました。
取材が殺到しているので、他のコーチや選手は事前にお願いしとけば、
取材OKでしたが、監督だけはどうしても駄目だったのです。
球団の規制は、それはそれは厳しいものでした。
どうしても星野さんの話が聞きたい中村さん。
中村さんの願望を聞いてあげたいのは山々でけれど、交渉に手を焼く若いディレクター。
行く前からとても難儀なことになったな~~と私は側でハラハラしながら観ていました。
安芸についても、もちろん球団はOKを出しません。
で、私はMBSやタイガースの広報などに迷惑かけないように、
中村さんに、「もう諦めはった方がいいと思いますよ。練習後午後から、田淵コーチや片岡選手が我が番組のために時間をゆっくりとってくれていますから・・・・・」って言ったりしました。
中村さんも「たえちゃん、そうやな・・・・・」って諦めかけたころです。
向こうから、我々を見つけた星野監督がこっちへ向かって、手を出しながら近ずいてこられるではありませんか!!
もうビックリです。
この写真はその時の写真です。
私の宝物。
「いや~、来られてたんですか?」って、笑顔で中村さんと握手しながら、出迎えてくださる星野監督。
私は心の中で「さすが、中村さんやな!」って、思いましたよ。
「イヤ~、仙ちゃん、私も政界を引退して今またラジオやってるんやけどな、仙ちゃんにインタビューしたいいうても球団からお許しでんのよ。」
「いいですよ、せっかく中村さんがいらしてるんですから・・・。やりましょう・・・」
側の私は心の中で、「ええっ??」
先程までの苦労を思いながら、「なんやのこれ?」って・・・。
一発OKです。
そして、あの時は平田さんが監督付きでしたから、平田さんを呼んで、スケジュールを空けてくださいました。
星野さんのインタビューということで、別室を用意されました。
その場は星野さんと中村さんの世界です。
2人でえらい盛り上がって!!
監督取材に規制を掛けていた球団関係者の困ったような、苦虫を噛んだような表情に、
交渉過程を知っている私は何とも言えない気持ちでした。
選手時代から知っている平田さんに、私は小声で「ホント、いいんですかねえ??」
って思わず言ってました。
平田さん曰く
「監督がいいと言ってるから、いいんです!!」って言い切りました。
いいインタビューでした。
「流石中村鋭一!!やな!!」と思ったものでした。
そして、星野監督の凄さには驚きました。
星野さんはよくいい意味で「人たらし」って言われますが、それを目の当たりにした私は幸せでした。
そんな中村さんも昨年逝ってしまわれました。
沢山の思い出をありがとうって一人思う午後でした。
合掌・・・・。
ご冥福をお祈りいたします。
多恵子