「きたやまおさむの加藤和彦音楽会」 | 土谷多恵子のRADIO DAYS

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業界歴ン十年の(笑)土谷多恵子が、目にし耳にした放送裏話や、古今東西洋邦問わず、音楽についてのウンチクをご披露します。ついでにABC「ドキハキ」のことも・・・・

北山修さんが定期的に開催している「きたやまおさむアカデミックシアター 」。


3月9日に「加藤和彦物語」がありました。

フォークル再結成の時のメンバー坂崎幸之助さんとともに。


その時の模様が、NHK BSプレミアムで土曜日の午後放送されました。

ご覧になった方も多いと思います。


あれから3年半以上が過ぎようとしています。

北山さんは整理がつくまで3年半かかったとおっしゃっていました。

加藤さんは「追悼公演なんかしてくれるな!」と言い残されていたようです。

勝手にすることに文句があったら怒るのなら、「戻ってこい!!」と・・・・。


会場に来たたくさんのオーディエンスの前で、彼らの出会いから縁のゲストを交えて、話されていました。


「イムジン河」を彼らに持ち込んだエッセイストの松山猛さん(映画「パッチギ」の原作者)

ザ・タイガースの瞳みのるさん(ピー)

フォークルのアマチュア時代のメンバー平沼義男さん

南こうせつさん


そして、バッキングは加藤さん好みの一流メンバーぞろいでした。



番組では、コンサートとは別に、

北山さんは「自分の人生にとっての加藤和彦」、その存在の大きさを語っていました。

多分、彼らが学生時代過ごした京都駅界隈を見下ろせるホテルの部屋で撮ったのでは?と思いました。

「おかげさま」っていう言葉が印象的でした。

「彼のおかげで今の自分がある」

「これからもこころの中で・・・・」って。



平沼さんが登場して、1967年10月1日のフォークルのさよならコンサートの秘蔵のビデオが初めて公開されました。

ビデオに合わせて歌う、「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」。

もう泣きそうです。

コンサートの中では言われませんでしたが、実はこのビデオは3人が記念にもっている門外不出としたビデオだったはずです。

(私がどうしてそれを知っているかと言えば、懇意にしてもらってる平沼さんからその存在を知らされていたからです。もう発表された今だから言ってもいいと思うのですが、加藤さんが亡くなった時、実は内緒で・・・・・。)


加藤さんが亡くなった時、加藤さんの自宅のスタジオは機材などすべて片づけられていたのだそうです。

でも、この1967年10月1日の「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」を歌った時の写真だけが額装されて、その部屋に残されていたのだそうです。

北山さんは言いました。

「加藤はすべて捨てられたのにこれだけは捨てられなかった。ここに帰りたかったんだ」と・・・・・。

そして、その同じ写真が北山さんも額に入れて今も大事に飾ってるって・・・・。


北山さんと坂崎さんは

第4次「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成しました。

そして、すでに3月末、新しいアルバムをリリースされています。


タイトルは『若い加藤和彦のように』。

北山さんが作詞した同名のシングルも収録されています。

加藤和彦さんがかつて作曲した曲に、北山さんが詞をつけたのだそうです。


加藤さんが亡くなって、しばらくはパニックのような状態だったそうですが、

やっと「加藤和彦をネタにできるようになった」とおっしゃっていました。



コンサートの最後の曲は加藤さんへのメッセージでした。

「ライク加藤和彦」


アルバム「戦争と平和」に入っていた「ライカはローリング・ストーン」の曲にのせて、

♪いい曲ありがとう加藤和彦、さよなら加藤和彦~~♪

と歌いました。




加藤さんが亡くなってからの喪失感がこの頃やっとどこかへ行ったかな?と思えるようになっていた私ですが、なんかまた引き戻されてしまいました。


あれから音楽に対しての興味が半減していた私ですが、

音楽をもっと大事にするようにと天国から加藤さんに言われているような気がしました。



            音譜 多恵子 音譜