コメントありがとうございました。
ミッドテイルさんのおっしゃるとおりです。
私の番組では出来るだけ完奏を心がけているつもりで、イントロに被ることもさけていますが、
日々の作業でそれに至らないことが多々あります。
昨日は時報スポット前の時間計算をちょっとマズりました。
もうしわけありません。
もうひとつ気をつけていることは、曲を完奏した後の余韻です。
ついつい曲後すぐにしゃべりだしてしまうものですが、1,2,3と数えてからしか
しゃべりださないようにと心がけています。
おっしゃるように、FMとはそういうところで違うんだということを誇りにしているんですが・・・・・・
さて、昨日、オンエアかなわなかったお話です。
去年の夏のNFDコンサートで高田恭子さん(同志社女子部の先輩)がいらしてたことは
昨日お話しました。
彼女は本当に京都のフォークシーンでは草分け的な方です。
後に上京して「みんな夢の中」を大ヒットがありますから、イメージがちょっと違うかもしれませんが・・・・
私の中のイメージはフォークの高田恭子しかない!!
わが母校にフォークソングクラブがありましたが、彼女が作ったのでは?と思っています。
1967年、昭和42年。
「The First & Last 大塚孝彦とそのグループ」というタイトルの自主制作アルバムが完成します。
これが日本で一番最初の自主制作アルバムでは?と昨日も申し上げましたが・・・・・・
大塚孝彦さんは京都のフォーク&カントリー界の大御所的存在の方です。
恭子さんはそのグループのリードボーカルでした。
サポートメンバーにはあの加藤和彦さんが参加していました。
フォークルのアルバム「ハレンチ」を制作したのは、それに触発されてだったそうです。
このアルバムに収録されている曲は歌い継がれている曲が何曲かあります。
昨年の夏のNFDコンサートでは大塚さんと恭子さんの2人が何十年ぶりに歌いました。
このアルバムにも収録されている曲もありました。
「竹田の子守唄」(昨日おかけしましたが、あれはのちに歌謡曲を歌っていた恭子さんのアルバムからです。赤い鳥の唄でおなじみですが、恭子さんたちが歌っていたのを後藤さんに教えたんです)
「君の周りをみつめてごらん」(ジーロズが歌い継ぎました)等など・・・・
そして、「継子」です。
ご存知でしょうか?「継子」これもジローズのアルバムに入っていますが・・・・・
恭子さんの「継子」をどうしてもおかけしたかった!!
「継子」
とっても小さなつぶらな瞳を
曇らせて泣いているそんな子供たち
小指をからませて今日も生きていく
そんな幼い子供を誰かがみてほしい
けむりに燻ぶ夕日が落ちてから
油に汚れたからだにつつむ制服
とっても疲れて重たく見上げる先生の
力のこもったその手には愛の白墨
いつまでたっても僕らの世界は
日本の歴史に生まれた
継子の世界なの
祈りをこめて今日も生きていく~~~??
映画 「ALWAYS 三丁目の夕日」が大ヒットしました。
三丁目の夕日は集団就職でした。
「継子」は定時制です。
アナクロではなく、今のこの時期どうしても聴いてみたい曲でした。
多恵子