いつもありがとうございます。


本編に入る前にウォーミングアップ。

ASSYパーツで車両を組むの、実は人生初です。

車両1両分のほか、ヘッドマークとステッカーを買っています。


車両の分を取り出してみます。

デッキの柱は細いので、どこかに引っかけないよう注意。


テールマークは「つばめ」がデフォルトで付いています。上の写真のテールマークセットにも1枚入っているので、片方に何らかのステッカーを貼ってもいいかもしれません。

ちなみに所属は「本ミハ」です。1987年10月1日〜1993年5月31日の期間の標記です。「本社直轄」の「宮原運転所」という意味です。


簡単に組み上がりました。

因みにどうしてASSYで組んだかと言えば…EF58はトミックスからそれっぽいものを作ってしまいましたし、他の三等車もトミックスで作ろうとしているからです。



では本編へ。


2024.1.20 マイテ39 11 鉄道博物館


かつて、東海道本線や山陽本線の優等列車には展望車が最後部に連結されていました。


日本での起源は九州鉄道向けに1908年に米国のJ.G.ブリルで製造された、ブトク1形です。※1908年には九州鉄道は国有化済みのため、直接帝国鉄道庁に納入されています。ちなみに“或る列車”のメンバーです。

その後1912年には、新橋〜下関の日本初の特別急行第一•第二列車に使用されたステン9020形が登場しています。

以降1960年まで、展望車は定期列車の最後部で活躍していました。


2023.1.7 マイテ49 2 京都鉄道博物館

2024年現在はマイテ39 11とマイテ49 2が保存されています。それ以外は解体されたり、台枠だけ他形式に流用されたりして全滅しています。








マイテ49 2

1938年9月 汽車会社製 スイテ37041

1941年10月 称号規定改正 スイテ49 2

1945年11月 GHQ接収 冷房化

1946年6月 軍番号付与 2103 LITTLE ROCK

1949年10月 接収解除

1953年 重量区分変更 マイテ49 2

1960年5月 二等級化 マロテ49 2

1961年 廃車 交通科学館にて静態保存

1987年3月6日 車籍復活 宮原客車区

同年4月1日 分割民営化 西日本旅客鉄道

2022年10月 廃車 京都鉄道博物館にて保存


スイテ37040形は、1940年に東京で開催予定であった第12回オリンピックに向けて2両が登場した展望車です。1930年登場で初の鋼製展望車であるスイテ37000形の置き換えとして、1912年に登場した特別急行の後身である「富士」に投入されました。

なおこの形式で展望車の完全新製は最後となっています。またこの形式は冷房化準備がなされていました。

しかし第12回オリンピックは日中戦争の影響で開催を中止。だんだんと日本がそういう時代になっていき、1944年4月には「富士」も展望車も廃止されました。車両は疎開として地方に送られましたが、整備する余裕もなく荒廃していきました。


1945年、敗戦した日本は進駐軍GHQに占領されました。GHQとしては日本の鉄道は壊滅的だろうと思い色々持ち込んではみましたが、実際は瀕死というほどではありませんでした。(それでも混乱期ということで正常な機能はしていないのですが)

ということで、日本国内の移動のために優等客車の大半を接収し、運輸省に専用列車を仕立てさせることにしました。

ところで、日本語は海外の方にはとても難解なようです。連合軍の鉄道司令部RTOは、自分達にわかりやすいよう客車の一両一両に軍番号と軍名称を付けました。

スイテ49 2も対象となり、10号御料車とともにオブザベーション•カー(展望車)に分類されました。

軍名称はリトル•ロックです。米国アーカンソー州の州都から取られました。


1949年に接収解除されたのち、1950年6月から運行開始の特急「はと」に投入されました。

1956年には東海道本線全線電化によるイメージアップ策として、「つばめ」「はと」の客車が淡緑5号(青大将色)となりました。しかし明るい色で汚れが目立つからか他に波及することもなく、1960年の電車化の際にもとのぶどう2号に全車が戻りました。

マイテ49 2は一等廃止による二等級化のためマロテ49 2となり、翌1961年に廃車、大阪府内の交通科学館に保存となりました。


1987年3月、日本国有鉄道が民営化するほんの少し前、マイテ49 2は本線復帰を果たしました。

この際に三菱電機製の家庭用エアコンを車内に設置しました。そのため「霧ヶ峰号」の愛称を持って…いるかもしれません。

国鉄の最後一ヶ月のの臨時列車に入り、そして民営化前後の3月31日から4月1日に跨って運転された「旅立ちJR西日本号」の最後部を務め、華々しい再デビューとなりました。

以降様々な臨時列車に駆り出され、時には列車の格式を高め、時には列車の奇抜さを高めました。

2009年8月15日のSLやまぐち号をもってサイレント引退し、しばらくは宮原総合運転所で保管されていました。しばらく動きが無かったのち、2022年の鉄道開業150周年に合わせ、京都鉄道博物館に収蔵。2022年10月14日、日本の本線上から三軸台車を持つ客車が消滅しました。

現在ではかつての仲間であるC62形やオハ46と共に展示されたり、よその車両を借りて展示するときに屋外に追い出されたりしています。EF58 150も青15号に塗り直され、京都鉄道博物館に保存されています。





今回のセットは以下の内容になっています。

オハフ33 48+オハ46 13+オハフ33 289+マイテ49 2


オハフ33 48

1939年10月 汽車会社製 スハフ34767

1941年10月 称号規定改正 オハフ33 48

1963年11月 近代化改造

1974年9月 体質改善工事

1983年時点所属 西鳥取運転区

廃車時期不明

梅小路蒸気機関車館SLスチーム号に使用のため留置、一度も使用されず

2009年 解体


オハ46 13

1955年9月 汽車会社製

1964年12月 近代化改造

1966年1月 横軽通過対応改造

1974年6月 体質改善工事

1983年時点所属 西鳥取運転区

廃車時期不明

梅小路蒸気機関車館SLスチーム号に使用のため留置、一度も使用されず

2016年4月 保存 京都鉄道博物館


オハフ33 289

1941年3月 梅鉢車輌製 スハフ35008

1941年10月 称号規定改正 オハフ33 289

1954年11月 更新修繕

1974年7月 体質改善工事

1983年時点所属 浜田客貨車区

廃車時期不明





この客車セットで組める列車を挙げてみましょう。




SLやまぐち号

←津和野(山陽本線基準神戸)            (山陽本線基準下関)小郡→

C57 1+オハフ33 289+オハ46 13+オハフ33 48+マイテ49 2

カトー製品だけで組める最も簡単なもので、説明書の編成例の一番最初に挙がっています。

こういうときのやまぐち号は律儀に折り返しの時に展望車を転車台に乗せるので、小郡行きでも最後部に展望車が連結されます。





SLどっきん号 1989年5月19日〜28日

←琴平                                                                    多度津→

C56 160+オハフ33 48+オハ46 13+オハフ33 289+マイテ49 2

四国で二番目の鉄道である讃岐鉄道の100周年を記念した列車です。転車台が無いため、琴平発列車はC56逆機でマイテ49と向かい合う組成でした。


次に説明書の編成表から。




すきやねん国鉄ご愛顧感謝号 1987年3月28日•29日

←姫路                                                                                                              京都→

EF58 150+オハフ33 48+オハ46 398[西鳥取]+オハ46 13+オハ46 512[浜田]+オハフ33 289+マイテ49 2

国鉄最後の土日に運転されました。この編成、カトーの増結の説明の通りだとオハ46 13で代用しています。(仕方ないのですが…)

オハ46形は2種類あります。片方はオハ46 1〜60の「軽量車オハ46として製造された」グループ。

もう片方はオハ46 374以降の「スハ43のうち台枠が変更されス級からオ級に下がった」グループ。

この編成で見れば、13はオハ46、398と512はスハ43の見た目ということになります。そのため厳密にはオハ46のASSYでは再現ができません。普通のスハ43を連結しましょう。

ところで太字の2両でティンときた人もいるはず。そう、この2両はのちに大井川鐵道に譲渡され、現在きかんしゃトーマス編成になっている車両です。

大鐵では申請の都合でオハ47を名乗っていますが、それはまた別のお話。





旅立ちJR西日本号 1987年3月31日〜4月1日

←大阪                                                                                                            東京→

EF65 1134+スハフ12 701+オハ12 15+オハ12 14+オハ12 13+スハフ12 36+マイテ49 2

すきやねん国鉄ご愛顧感謝号のあと、12系とともに東京へ向かいました。

そして国鉄最後とJR最初の列車となる旅立ちJR号の西日本編成という大仕事に就きました。

EF65はトミックスの9139 下関運転所•黒台車 が合致すると思われます。1134号機のナンバーはその製品と、カトーの下関運転所仕様に付属します。

スハフ12 701「いこい」はスハフ12 5をお座敷化したものです。カトー京都駅店で製品化されたことがあります。雰囲気だけで良ければスハフ12 0番台を金帯にして、車掌室側から数えて側面窓5枚に障子を付ければ再現できます。ガッツリ改造するなら乗降扉を埋めます。なお実車は1989年に「セイシェル」に再改造され2005年に廃車となっています。

オハ12の3両はごく普通の0番台車です。実車は1993年に廃車されました。

スハフ12 36は1994年頃〜2017年にやまぐち号の予備電源車を務めており、スハフ12 702が不調の際は連結されて電源供給をしていました。やまぐち号としてのラストランとなる2017年8月27日に702の発電機が故障してしまい、36の発電機を提供して9月2日の最終特別運転を完遂した、というエピソードもあります。


ここからは有名どころからマイナーなものまで色々取り上げます。


SLやまぐち号(C57×C56) 1988〜2002

←津和野(山陽本線基準神戸)                                                             (山陽本線基準下関)小郡→

C57 1+C56 160+マイテ49 2+スハフ12 702+オハ12 703+オハ12 702+オハ12 701+オハフ13 701

SLやまぐち号(C57×C56) 2003〜2009

←津和野(山陽本線基準神戸)                                                             (山陽本線基準下関)新山口→

C57 1+C56 160+マイテ49 2+オハ12 703+スハフ12 702+オハ12 702+オハ12 701+オハフ13 701

多分今回のマイテはこれ目当てでASSYを組んでいる人が多いと思われます。しかし12系700番台のやまぐち号はトミックスとアリイが出しており、カトーには無いので説明書には明確には載っていません。編成例の一番下と思われます。

他の臨時列車で、まだ改造されず「ぶどう色に塗られた12系」だった頃にマイテ49と組んだこともありました。そちらはカトー(C57+12系+マイテ49のセット)、トミックス(12系5両+増結2両)の2社にあります。

ところで小郡駅は2003年に新山口駅に改称されましたが、今でも「小郡駅」派がいると思います。たぶん。




瀬戸大橋グルメ列車

←高松         岡山→

EF65 1134もしくは1137+スハフ14+スシ24+スシ24+オハ14+スシ24+スハフ14+マイテ49 2


びわ湖一周グルメ列車

←敦賀         大阪→

EF81 44もしくは104+スハフ14+スシ24+スシ24+オハ14+スシ24+スハフ14+マイテ49 2


1988年頃に運転されました。「日本海」用にサシ481•489から改造されたスシ24が全車連結されています。この3両は1989年にトワイライトエクスプレス向けに再改造されたので、青い姿での運用は貴重です。

ところでこの列車は開業したての瀬戸大橋を渡っているのですが、流石にマイテの展望室は閉鎖したのでしょうか。デッキで瀬戸大橋を堪能したい感もありますが。



和田岬線開業100周年 1990年7月8日

←兵庫                                                                                和田岬→

DE10 1044+マイテ49 2+スハネフ14+オハ46+スハフ12+オハフ15 200(シュプール)

和田岬線で一番の豪華列車でしょうか。しかも寝台車付き。リゾート&シュプールの14系展望車も入っています。

残念ながら車番の特定ができていません。資料をお持ちの方、ご一報ください。



柘植ー四日市間開業100周年記念列車 1990年12月23日

←亀山                 柘植→

亀山行  DD51 1043+DD51 1192+DD51 1191+オハフ33 48+スハフ42 2254+オハ46 13+オハフ33 289+マイテ49 2

柘植行  マイテ49 2+オハフ33 48+スハフ42 2254+オハ46 13+オハフ33 289+DD51 1191+DD51 1192+DD51 1043

DD51を3重連とし加太越えに挑む豪華列車です。亀山駅でマイテの方向転換とDD51の順番入れ替えを行っています。

スハフ42 2254は民営化後も残った数少ないJR西日本の在来型客車で、オハ46 13とともに和田岬線の予備車としても活躍しました。1991年3月に廃車となりました。



時間超越懐古岡山号 1991年3月21日

←笠岡                                                                      大阪→

EF58 150+スハフ42 2254+オハ64 3+オハ46 13+マイテ49 2

切妻車ばかりで組まれた編成です。

オハ64 3は1990年9月まで和田岬線で運用されていました。座席を大幅に撤去し、キハ30似の外吊ドアで3扉化されました。Nゲージではアリイ(マイクロエース)が製品化しています。



SL土佐龍馬号 2001年11月23日〜25日

←土佐山田                                                                              高知→

C56 160+キハ185-11+キロ186-8+キロ186-4+キハ185-12+マイテ49 2

※キハ185系の編成は画像からの推測です。

キハ185系アイランドエクスプレス四国Ⅱを使用した列車ですが…何食ってたらこれで走らせようと思うのでしょう(褒め言葉)。

キハ185とマイテは幌が繋がっていたり、電源供給されていたり、謎の列車です。

アイランドエクスプレス四国Ⅱはアリイから製品化されていますが、カトーのC56と協調は無理そうです。キハ185側の動力からモーターとギヤを外すか、トミックスベースで作ってしまうか。



懐かしのEF58&マイテ49 2002年3月17日

←宮島口                                                                            岡山→

EF58 150+スハフ12+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12+マイテ49 2


懐かしのEF58&マイテ49 2002年4月27日

←岡山                                                                               大阪→

EF58 150+スハフ14+オハ14+オハ14+オハ14+オハフ15+マイテ49 2


山陽新幹線の新大阪〜岡山開業30周年で運転されました。車番などの資料お待ちしております。



映画 旅の贈りもの☆0:00発 2006年10月7日公開

←風町                                    大阪→

EF58 150(山陽本線)+スハフ12 702+マイテ49 2

DD51 844(山口線•山陰本線)

JR西日本協力による映画の撮影列車です。マイテ49に電源供給でき、塗装が同じで編成美が整うスハフ12 702が連結されています。感覚としてはチビやまぐち号です。

バンダイのBトレインショーティーで製品化されており、EF58•スハフ12•マイテ49とプラットホーム、車掌フィギュア(4種のうちランダムで1体)のセットでした。





ツアー 旅の贈りもの☆0:00発をたどる旅 2006年11月11日•12日

←下関                                                                                                              大阪•京都→

EF58 150(大阪〜下関)+マイテ49 2+オハフ15 23+スハフ14 11+オハネ14 303+オハネ15 352+スハネフ15 14+DD51 1109(下関〜大阪)

停車駅

1日目:大阪〜(山陽本線)〜戸田〜下関〜(山陰本線)〜湯玉〜長門三隅〜飯浦〜三保三隅〜西浜田〜出雲市

2日目:出雲市〜(山陰本線)〜米子〜御来屋〜泊〜宝木〜和田山〜二条〜(JR京都線)〜新大阪〜大阪


上記映画の公開一ヶ月後に開催された聖地巡礼ツアーの列車です。なんと山陽本線と山陰本線の両方を完走するバケモノツアーです。出雲市で一泊する以外は走りっぱなしです。

発車時には映画と同じEF58を使用し、聖地巡礼は山陰本線のためDD51が使用されました。客車は座席車と寝台車の混成で、「だいせん」「ちくま」を連想させます。

上りでマイテを最後尾にするため、下りはゴハチとマイテが向かい合う編成でした。

オハフ15 23は1974年に広島に投入、下関、宮原を経て2010年に廃車となりました。

スハフ14 11は1972年に宮原に投入、向日町、岡山、広島、向日町、広島、下関、宮原と転々とし2010年に廃車となりました。

オハネ14 303はオロネ14 7を1人用•2人用B個室車に改造したものです。1991年に「出雲3•2号」に投入され、1998年の「出雲」電車化の際にあかつき号に転用されました。2008年に廃車となりました。

オハネ15 352はオハネ15 24を1人用B個室車に改造したものです。1992年に「あかつき」に投入、2000年に「彗星」に転用されました。2005年に「彗星」が廃止され「あかつき」に戻ったものの、2008年に廃車となりました。

スハネフ15 14は九州ブルトレに使用された車両です。末期は上記改造車2両とともに走っていました。




快速珍ドコ列車 1989年6月10日 ※岩国側から1号車

←岩国                                倉敷→

EF58 150+オハフ13 701(やまぐち)+オハ12 701(やまぐち)+スハフ14 25+オハネ25 203+オハ14 701(ホリデーパル青)+スシ24 3(もと481系)+オハ12 247+オハ14 254(シュプール)+スハフ12 702(やまぐち)+マイテ49 2

EF61 210(セノハチ補機 上リ倉敷行)


快速珍ドコ列車 1990年4月15日

←岩国                                倉敷→

EF58 150+マイテ49 2+スハフ14 200(シュプール)+オハ14 701(ホリデーパル青)+オハ14 200(シュプール)+スシ24 3(もと481系)+オロ12(旅路)+スハフ12+オハネフ25+スハ25 300(あさかぜ・瀬戸)+オハフ15 202(シュプール)

EF61 204(セノハチ補機 上リ倉敷行)


快速珍ドコ列車 1991年4月28日・29日

←岩国                               倉敷→

EF65 1120(28日)もしくは1123(29日)+マイテ49 2+オハネ25 176+スハフ12 18(やまぐち)+オロネ25 305(あさかぜ•瀬戸)+オロ12 817(旅路)+オハ14 48+オハ14 701(ホリデーパル白)+スハフ12 43+カニ24 108

※セノハチ補機なし


快速珍ドコ列車 1991年11月3日•4日

←岩国                               倉敷→

EF66 52+オハフ15 251(シュプール)+オハネフ25+スハフ14+オロ12 800(旅路)+オロネ25 300(あさかぜ•瀬戸)+オハ14+オハ25 300(あさかぜ•瀬戸)+スハフ14 200(シュプール)+マイテ49 2


快速珍ドコ列車 1992年4月29日

←岩国                               倉敷→

EF65 1136+マイテ49 2+オハネフ25 138+スハフ12 18(やまぐち号)+オロネ25 300(あさかぜ•瀬戸)+オロ12 800(旅路)+オハ14+オハ14 701(ホリデーパル白)+スハフ14 11


快速珍ドコ列車 1992年11月3日

←岩国                               倉敷→

EF66 45+マイテ49 2+スハフ14 200(シュプール)+オハ25 300(あさかぜ•瀬戸)+オハ14+オロネ25 300(あさかぜ•瀬戸)+スハフ14+オロ12 700(ゆうゆうサロン岡山)+オハフ15 201(シュプール)


快速珍ドコ列車 1993年4月29日

←岩国                               倉敷→

EF66 54+マイテ49 2+スハフ14 202(シュプール)+オロ12 818(旅路)+オハ14+オロネ25 300(あさかぜ•瀬戸)+スハフ14+オハ25 300(あさかぜ•瀬戸)+オハフ15 200(シュプール)


快速珍ドコ列車 1993年11月3日

←岩国                               倉敷→

EF65 1135+マイテ49 2+スハフ14 200(シュプール)+スハ25 300(あさかぜ・瀬戸)+オハ14+オロネ25 300(あさかぜ・瀬戸)+スハフ14+オハネフ25+オハフ15 202(シュプール)


快速珍ドコ列車 1994年4月29日

←岩国                               倉敷→

EF65 1134+マイテ49 2+スハフ14 200(シュプール)+オハ25 300(あさかぜ•瀬戸)+オハ14 200(シュプール)+スハフ14+オハネフ25 100+オハ14 200(シュプール)+オロネ25 300(あさかぜ・瀬戸)+オハフ15 200(シュプール)


快速珍ドコ列車 1994年11月3日

マイテ49なし

快速珍ドコ列車 1995年4月29日

マイテ49なし


快速珍ドコ列車 1995年11月3日

←岩国                               倉敷→

EF65 1094+マイテ49 2+スハフ14 200(シュプール)+オハ25 300(あさかぜ•瀬戸)+オハ14 200(シュプール)+スハフ14+オハ14 200(シュプール)+オロネ25 300(あさかぜ・瀬戸)+オハフ15 251(シュプール)+マイテ49 2


倉敷への観光を目的としたナイスホリデー列車…とされています。岩国を朝発車し昼頃に倉敷へ、夕方に倉敷から岩国に戻るダイヤでした。

しかしこの編成の狂気。わざわざ違う所属の客車を集めてきたり、ヘッドマークを作ってきたり、年2回の臨時列車への力の入れ方が凄まじい。

しかしぱっと見は「色々なの繋がってるな」なんですが、編成表に起こしてみると意味がわからない。

12系と14系とマイテ49 2は電源供給方式が統一されています。しかし24系は電源車による供給のため、他形式とは異なります。編成単位での混結では「さくら」「はやぶさ」の連結運転がありましたが、車両単位での混結となるとよくわかりません。有識者の見解求む。



さて、そんなこんなでマイテ49 2の編成を取り上げました。色々な臨時列車があったのですね。

実在の編成をモデルにしても、現役時に無かった組合せを作っても、楽しく遊べると思います。



ケースが無いのでトミックスの12系ミハ車のブックケースに入ってもらいます。収まりが良くてヨシ。



2024.1.2 マイテ49 2


 

以上、第99回の車両記事のマイテ49でした。99と100の記事の順番は投票で決めまして、結果的にマイテが99となりました。おかげで2桁の最後尾として、また銀河鉄道を連想させるようになりました。


次回は第100回。