「祖国に帰れ」は差別 ヘイト書き込み訴訟で原告訴え | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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(引用元:石橋さんが書いたカナロコより)
 

 

 
「祖国に帰れ」は差別―。自身や家族だけでなく過去から未来にわたる深刻な被害を身を切るようにしながら、説得力ある言葉で訴えた。尋問の要旨も掲載。
 
 
 
 
 
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 「祖国に帰れ」といったインターネット上のへイト書き込みで5年にわたって差別され、人格権を傷つけられたとして川崎市の在日コリアン3世、崔(チェ)江以子(カンイヂャ)さんが茨城県在住の篠内広幸さんに損害賠償を求めた裁判の第6回口頭弁論が18日、横浜地裁川崎支部(桜井佐英裁判長)であった。本人尋問に立った崔さんは「『帰れ』は差別であり、差別だからいけないという判断を示し、差別の被害から私やハルモニ(おばあさん)たち、子どもたちを守ってほしい」と訴えた。
 
 差別の被害を訴えたことでヘイトスピーチの攻撃にさらされている崔さんは、襲われる恐怖から外出時は欠かせない防刃のベストとアームカバーをこの日も装着して法廷に立った。
 
 差別をなくすための公的施設「川崎市ふれあい館」で働き始めた経緯を「ふれあい館と出会い、在日であることを隠さずに生きようと決めた。私がされたように子どもたちを支えたかった」と振り返った。長年「帰れ」と言われ続けてきた在日1世のハルモニたちに心を寄せながら、「『祖国へ帰れ』は今まで私が日本社会で関わってきた時間、記憶、思い、心の全てをないことにするものだ」と強調した。
 
 訴状によると、被告は2016年6月、「ハゲタカ鷲津政彦」を名乗る匿名ブログで「思い上がるのもいいかげんにしろ、日本にあだなす敵国人め。さっさと祖国へ帰れ」などとヘイトスピーチを書き連ねた。
 
 プロバイダーによって記事が削除されると崔さんを逆恨みし、脅迫的な書き込みを20年まで続けた。
 
 差別者たちの攻撃はピーク時で2千万件に上ったネット上のヘイト書き込みだけでなく、職場への電話や郵便物による脅迫にも及んでいる。崔さんは裁判に訴えた理由を「差別だと裁判所に判断してもらい、被告の行為を止めてほしかった。判決によって投稿に影響された人たちも書き込みをやめ、攻撃されなくなることを願った」と説明した。
 
 被告代理人による尋問では「被害者ビジネスではないか」というヘイトスピーチまがいの質問がなされたが、閉廷後の集会で崔さんは「ふれあい館での27年で出会ってきた子どもたちと、差別されたらおかしい、間違っていると言ってくれる仲間を増やすと約束してきた。その約束やハルモニたちの支えが力になってやり切ることができた」と語った。
 
 より最悪の質問も想定して臨まざるを得なかったといい、「個人の力では限界がある。包括的な差別禁止法や裁判によらずとも救済される国内人権機関などの仕組みが必要だ」とも述べた。
 
【本人尋問要旨】「生きる未来奪う言葉」
 崔江以子さんの本人尋問の要旨は次の通り。
 
 ─ブログを目にした時の気持ちは。
 
 「差別のない社会はみんなに優しい社会だと、差別のない社会を求めて仕事してきました。それを『日本の敵』と言われて、怖かったです」
 
 ─「帰れ」とはどういう意味を持つか。
 
 「命をつないで大切に育ててくれた親の生、私が命をつないだ子どもの生をもなかったことにする、私を刺す言葉です」
 
 「在日1世のハルモニたちはたくさん差別されてきた中で『祖国に帰れ』が一番つらいと胸をたたいて泣いていました。日本人の父と朝鮮人の母を持つ私の子どもも、帰れと言われても体は半分にできないし、心と体がバラバラにされたようだと言っていました」
 
 「おまえはこの社会のメンバーではない、この社会には要らない人間だと存在を無効化するものです。さらに私が出会い共に生きてきた人たち、重ねた時間、思い、信頼、分かち合った愛情、全てを無効化し、これから先、日本で生きる未来を奪う言葉です」
 
 ─裁判所に言いたいことは。
 
 「子どもが生まれた時、うれしさと同時に、どうか私のように差別されませんようにと願いました。私の親も恐らく私が生まれた時そう願いました。しかし、母親と私の願いがかなうことはありませんでした。私が『祖国へ帰れ』と言われ、母が傷ついていることを知っています。私の子どもは自分の母親が要らない人間だと言われていることを見つめ、思春期の大切な時間を過ごしました」
 
 「(1955年に米国で)公共交通機関の人種分離に反対してバスに座り続けたローザ・パークスさんはその後、人種分離の条例が違憲であるとの判決を勝ち取り、公平な社会をつくりました。『私には夢がある』と語ったキング牧師のスピーチはみんなの心に響き公民権法の制定につながりました。私にはそうした歴史に残る、社会を変える力はありません。今この裁判所で自分の被害を語るのにも震えています。私にはできません。でも裁判所にはできます。裁判所だからできます」
 
 「私に向けられた『祖国に帰れ』という言葉を差別と認め、差別だからいけないと判断し、この言葉に苦しめられてきた私、多くの在日たち、ハルモニたち、子どもたちの被害を止めてください。私たちが日本で生きていくことを、どうか守ってください」
(石橋 学)
 
 
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