Jリーガー鄭大世 引退 7 (日本代表への憧れあった) | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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Jリーガー鄭大世 引退 1 (現役引退のお知らせ)

 

Jリーガー鄭大世 引退 2 (テセのコメントはこちら)

 

Jリーガー鄭大世 引退 3 (現役時代を振り返る) 

 

Jリーガー鄭大世 引退 4 (所属したクラブ・ファンへのコメント) 

 

Jリーガー鄭大世 引退 5 (「これ見てガチで泣いた」川崎フロンターレサポーターのコール) 

 

Jリーガー鄭大世 引退 6 (引退した鄭大世にソウルで聞いた日本サッカー界に伝えたい3つの事)

 

の続き

 

 

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(引用元:Yahooニュースミョンウの記事より)北朝鮮代表FWとして南アフリカW杯に出場した鄭大世(写真・本人提供)

 

 

鄭大世「日本代表への憧れもあった」元北朝鮮代表FWが打ち明けた揺らいだアイデンティティーとW杯

 
 

 今季で現役引退を表明した鄭大世。カタール・ワールドカップ(W杯)で日本代表がベスト16入りしたことで、盛り上がりも最高潮のなか、「Abema TV」でのW杯解説もツイッターで「鄭大世の解説」がトレンド入りするほど。ピッチの外での活動も本格的に稼働し始めている。

 

「今は仕事もプライベートみたいな感じで、楽しくやっています。試合の時みたいにすっごく落ち込むもないし、選手とご飯行ったときに色んな愚痴を聞きながら、ほんと引退してよかったなって思いました(笑)」

 

 今まではクラブという組織にいたからこそ、大なり小なり、ストレスにさらされることは容易に想像できる。

 

「僕、団体行動がめちゃくちゃ苦手なんです。朝からみんなに会う前がすごく憂鬱だったりすることもあるんです。例えば、気が合う人、合わない人がいて、好きな人もいる。自分を支配する監督もいる(笑)。そういうヒエラルキーの中に突っ込んでいかなきゃいけない“ストレス”は今はない。逆に行く先々で、みんなが僕に『お疲れさま』って言ってくれる。テレビに出てもみんなが『テセさん、テセさん』って言ってくれる状況なんで楽しいですよね」

 

 大きなストレスからの解放、そして注目されることが大好きな鄭大世らしい言葉だと思った。今後は日本だけでなく、韓国でも活動範囲を広げる予定で、さらにやりたいことは無限に広がっていくのだろう。ところで今回、聞きたかったのは未来のことではない。かつて代表として活躍した話だ。

W杯出場は初めて勝ち取った“成功体験”

 鄭大世にとってのW杯といえば2010年の南アフリカ大会で、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)代表FWとして初出場した。同国は1966年イングランド大会以来、44年ぶり2度目の出場を決めたが、日本で生まれ育った在日コリアンの鄭大世が、本大会出場に大きく貢献した。

 

「今でも忘れないのは、W杯出場が決まるアジア最終予選、アウェーでのサウジアラビア戦(2009年6月17日)です。最近もその試合をフルゲームで見直したくらい。それくらいサッカー人生で一番うれしかった試合で、喜びの大きさはW杯よりもでかいです。自分の力で夢を叶えたっていう成功体験なので、一つの大きな壁を越えた喜びがありました。思い出しては何日も泣いていましたから」

 

 日本代表にとって1998年フランスに大会の初出場が「ジョホールバルの歓喜」なら、北朝鮮のW杯出場は「リヤド(サウジアラビアの首都)の歓喜」と言っていいだろう。

 

 東京都大学リーグ3部の土のグラウンドでプレーしていた無名の朝鮮大学校サッカー部時代を経てJリーグ入りし、W杯に出るという偉業を成し遂げた。その後はドイツのボーフムやケルンでもプレーするという“成り上がり”の人生を送ってきたが、W杯出場は自分にとっての初めての「タイトル獲得」のようなものだった。

 

 ただ、W杯出場にたどり着く道のりを言葉ですべてを表現するのは難しい。それくらい、たくさんの困難と悩みが大きな壁となって立ちはだかった。在日コリアンである鄭大世がW杯出場を手に入れるまでには様々な葛藤があった。

 

 

 

 

 

 

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■前回アップした記事■

 

 

 

(引用元:FC町田ゼルビア 公式@FcMachidaZelviaツイッターより)

 

 

 

【鄭大世選手 現役引退のお知らせ】 

 

 

この度、#鄭大世 選手が2022シーズンをもって現役を引退することになりましたのでお知らせいたします。 

 

 

テセ選手、17年間の現役生活お疲れ様でした。

 

 

■前回アップした記事■

 

 

 

(引用元:川崎フロンターレ@frontale_staffのツイッターより)

 

 

 

本日現役引退を発表された、FC町田ゼルビア所属の鄭大世(@ChongTese9 )選手より、フロンターレサポーターの皆さんへのメッセージをお預かりしました。 クラブへ、サポーターの皆さんへ感謝の気持ちを常に全力で示し続けてくれたテセ。たくさんの愛をありがとう!! #frontale

 

 

 

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(引用元:Yahooニュースより)

 

鄭大世が現役引退…”不屈のストライカー”が38歳でピッチに別れ「悠然と胸を張ってスパイクを脱ぎます」

 

FC町田ゼルビアは28日、同クラブ所属の元北朝鮮代表FW鄭大世(チョン・テセ)が2022シーズンをもって現役を引退することを発表した。 鄭大世は1984年3月2日生まれの現在38歳。朝鮮大学校を経て2006年に川崎フロンターレに加入し、プロキャリアをスタートさせた。加入初年度は途中出場が多かったものの、翌2007シーズンから徐々に出場機会を増やしFWの主軸に定着。屈強なフィジカルと強力なシュートを武器に得点を量産し、川崎Fに在籍した約4年半で公式戦通算64ゴールを挙げた。 2010年夏に当時ブンデスリーガ2部だったボーフムに完全移籍で加入。ホーム開幕戦でいきなり2ゴールをマークするなど、加入直後から存在感を放った。このシーズン、チームはプレーオフの末に1部昇格を逃したものの、鄭大世自身は10ゴールを記録する活躍を見せた。2012年1月にはブンデスリーガのケルンに移籍。しかし、ここでは力を発揮することができず、約1年間の在籍で11試合出場ノーゴールという成績に終わった。2013年1月には韓国の水原三星ブルーウィングスに移籍。約2年半の在籍で85試合に出場して28ゴールを記録した。 2015年夏に清水エスパルスに完全移籍で加入。約5年ぶりとなるJリーグ復帰を果たした。13試合で4ゴールを挙げる活躍を見せたが、チームはこの年J2降格の憂き目に遭った。2016シーズンは抜群の得点力でチームを牽引。26得点で明治安田生命J2リーグの得点王に輝き、1年でのJ1復帰に大きく貢献した。J1復帰初年度となった2017シーズンはチームの主将に就任。明治安田生命J1リーグで10得点を挙げ、チームのJ1残留に貢献した。 2018シーズン以降は徐々に出番を減らし、2020シーズン途中にはアルビレックス新潟にレンタル移籍で加入した。契約満了に伴い2020シーズン限りで清水を退団。2021シーズンからは町田でプレーしていた。昨シーズンは公式戦33試合出場5ゴール、今シーズンは34試合出場6ゴールという成績を残した。 また、2007年6月にデビューを飾った北朝鮮代表としては33試合に出場し15ゴールを記録。FIFAワールドカップ南アフリカ2010への出場も果たした。 現役引退に際し、鄭大世はFC町田ゼルビアのクラブ公式サイトを通じてコメントを発表している。「裏山の鶯の鳴き声で目を覚ます。そんな清々しい朝を迎えてた町田での2年間。最後の最後まで。本当に最後の試合まで苦しかった。これを遅くに書き上げた後に夢で、外されてるのに怒鳴られる夢でうなされ、朝思わず加筆した。現実もそんな日常だった」「全て伏線だと言い聞かせ、この”痛みや苦しみ”は自分だけの花を咲かせるためだと愚痴りながらも、食らいついた。自分と、周りが思う今の質の差にも薄々気がついてたが年甲斐もなく、まだできる!とギラついてたけど、変わることはなかった。苦しさは変わらずで、こんな歳でも、悔しくて何度も泣いた。でも喜びは、喉が裂けるほど咆哮したあの頃とは、もう違う」「同世代に勇気づけられ、ひと回り下に慰められた。歳の半分以下の選手たちと鎬を削った。幼き頃、買ってもらったユニの袖のJリーグのエンブレム。太くなった腕の袖のそれを見るたびに、胸が熱くなった。何年も前から、今日が最後かもと毎試合トイレに篭り嗚咽を漏らして泣いてた。酸いも甘いも味わい、綺麗事だと思ってたあの言葉も、今なら素直な気持ちで言える。 『みんなのおかげ』」「こんな性格じゃなかったらもっといい景色が見えたかも? こんなエゴイストだからここまでこれた? 違う。みんなの支えで今がある。後悔や、人としての失敗は数え切れないけどはっきりと言える。これが『ベスト』」「砂埃舞う大学都リーグ3部からのし上がった、最高に痛快なサッカー人生。多くをサッカーからもらい、今は心が満たされてる。あの頃想像もできなかった舞台で夢中で走った17年間に、終了の笛を吹き、終止符を打つ。悠然と胸を張ってスパイクを脱ぎます。エゴイストなくせに馬鹿みたいに繊細で感情的な、こんな僕に関心を持ってくれてありがとうございました」

 

 

【鄭大世選手コメント】
「裏山の鶯の鳴き声で目を覚ます。そんな清々しい朝を迎えてた町田での2年間
最後の最後まで。本当に最後の試合まで苦しかった。

これを遅くに書き上げた後に夢で、外されてるのに怒鳴られる夢でうなされ、朝思わず加筆した。
現実もそんな日常だった。

全て伏線だと言い聞かせ、この”痛みや苦しみ”は自分だけの花を咲かせるためだと
愚痴りながらも、食らいついた

自分と、周りが思う今の質の差にも薄々気がついてたが

年甲斐もなく、まだできる!とギラついてたけど、変わることはなかった。

苦しさは変わらずで、こんな歳でも、悔しくて何度も泣いた。

でも喜びは、喉が裂けるほど咆哮したあの頃とは、もう違う。

同世代に勇気づけられ、ひと回り下に慰められた。歳の半分以下の選手たちと鎬を削った

幼き頃、買ってもらったユニの袖のJリーグのエンブレム
太くなった腕の袖のそれを見るたびに、胸が熱くなった。

何年も前から、今日が最後かもと毎試合トイレに篭り嗚咽を漏らして泣いてた。

酸いも甘いも味わい、綺麗事だと思ってたあの言葉も、今なら素直な気持ちで言える。

『みんなのおかげ』

こんな性格じゃなかったらもっといい景色が見えたかも?
こんなエゴイストだからここまでこれた?
違う。みんなの支えで今がある。
後悔や、人としての失敗は数え切れないけど

はっきりと言える。これが『ベスト』。


砂埃舞う大学都リーグ3部からのし上がった、最高に痛快なサッカー人生。

多くをサッカーからもらい、今は心が満たされてる。

あの頃想像もできなかった舞台で夢中で走った17年間に、

終了の笛を吹き、終止符を打つ。

悠然と胸を張ってスパイクを脱ぎます。

エゴイストなくせに馬鹿みたいに繊細で感情的な、こんな僕に関心を持ってくれて

ありがとうございました。」

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(引用元:FC町田ゼルビア 公式@FcMachidaZelviaツイッターより)

 

 


◇鄭大世(ちょん てせ)
◇背番号:9
◇ポジション:FW
◇生年月日:1984年3月2日(38歳)
◇出身地:愛知県名古屋市
◇身長/体重:181cm/80㎏
◇経歴:
愛知朝鮮初級学校→東春朝鮮初中級学校→愛知朝鮮中高級学校→朝鮮大→川崎フロンターレ→VfLボーフム(ドイツ)→1.FCケルン(ドイツ)→水原三星ブルーウイングス(韓国)→清水エスパルス→アルビレックス新潟→清水エスパルス→FC町田ゼルビア

◇Jリーグ初出場:
2006/03/18 2006Jリーグ ディビジョン1 第3節 川崎F(vs甲府@小瀬)
◇Jリーグ初得点:
2006/07/19 2006Jリーグ ディビジョン1 第13節 川崎F(vs鹿島@カシマ)
◇個人タイトル:
J2リーグ得点王(2016)

◇代表歴:
北朝鮮代表
2007年:東アジアサッカー選手権2008予選大会
2008年:2010 FIFAワールドカップ・アジア予選、東アジアサッカー選手権2008決勝大会
2009年:東アジアサッカー選手権2010予選大会
2010年:2010 FIFAワールドカップ
2011年:AFCアジアカップ2011、2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選

 

 

 

※また情報入りましたらアップします。