Jリーガー GK朴一圭選手 81 (日本国籍を取得!②本人のコメントはこちら) | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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Jリーガー GK朴一圭選手 80 (日本国籍を取得!目指すは日本代表)

 

の続き

 

 

朴一圭選手(埼玉朝鮮→東京朝鮮→朝鮮大学)

 

 

(引用元:朴 一圭選手のフェイスブックより)

 

 

 

この度、日本国籍を取得しました。

僕の決断を尊重し、見守ってくれた家族には本当に感謝しています。

そしてこの記事をみて沢山の方々から連絡を頂きました。

色んな意見がある中でも背中を押す言葉をかけてくれる方々ばかりでした。

みなさんの温かい連絡、コメント本当にありがとうございます。

これからも感謝と謙虚な気持ちを忘れずに自分らしく頑張っていきたいと思います!

引き続き 朴一圭をよろしくお願いします。

 

 

 

■前回アップした記事■

 

 

(引用元:報知新聞記事より)

 

 

鳥栖GK朴一圭、日本国籍を取得…26年W杯代表入りは「国籍を取ったのだから狙っていくものだと思う」

 

 

 

 

 

↑引用元:報知新聞記事より

 

 

J1鳥栖のGK朴一圭(ぱく・いるぎゅ、32)が日本国籍を取得したことが14日、分かった。約1年前から帰化申請の手続きを行い、先月正式に受理された。在日韓国人として日本で生まれ育ち、日本フットボールリーグ(JFL)からJ1でリーグ優勝を成し遂げるまで駆け上がった守護神はこのほどスポーツ報知の取材に応じ、国籍変更を決断した理由を告白。カタールW杯終了後、2026年の次回大会へ再出発となる日本代表への思いも語った。

 

 

一大決心をした背景について、朴は「外国籍選手枠の問題が大きい」と説明した。現在J1は1試合につき外国籍選手は5人メンバー入りできる一方、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)は4人(3+アジア枠1)に限定される(23年からは6人に拡大)。横浜Mへの移籍1年目だった19年は25試合に出場し15年ぶりのリーグ制覇に大きく貢献したが、翌年のACLは登録メンバーから外れた。  直接のきっかけではなかったというが、パフォーマンスを評価されても枠によって出場機会や移籍のチャンスを逃しかねない現状を変えたい思いは年々強くなった。「今年33歳ですけどJ1はまだ4年目。1年でも長くプレーしたい。仮にいつか新たな挑戦をするとなっても『外国人なら厳しいな』となるのは避けたい。どんなチャンスもつかめる準備をしておきたかった」

 

日本で暮らす両親からは当初「バックボーンを大切にしてほしい」などと反対された。「お世話になった方に伝える際に、『何を考えているんだ』と言う人もいました」と朴。葛藤はあったが、最後は「自分のサッカー人生を豊かにしたい」という信念を貫いた。約1年前から手続きを開始。韓国から書類を取り寄せ、日本語に翻訳して提出するなどの作業をシーズンと並行して行うことは困難だったが、先月3日、申請は受理された。新たな名前をつけることもできたが「両親からもらった名前は大事にしたい」と改名はしなかった。  「もう言い訳はできない。ここからが本当の勝負」と日本人選手として臨む来季。広い守備範囲と高精度のビルドアップを武器に19年にJ1優秀選手賞を受賞したGKが結果を残せば、4年後の次回26年W杯(米国、カナダ、メキシコの3か国共催)に向けた日本代表への道も開けてくる。「国を背負って戦うことは誰もができることではない。日本国籍を取ったのだから狙っていくものだと思う」と言葉に力を込めた。

 

横浜Mで同僚だった元日本代表FW李忠成(36、現新潟シンガポール)が、11年のアジア杯決勝・豪州戦で決めた左足ボレーは今も目に焼き付いている。国を超え、人々に勇気や希望を与える力がサッカーにあると実感した。「僕は1番最初の国籍は北朝鮮なんです。だから北朝鮮も韓国も日本も同じ祖国で、日本の社会にも在日の世界にも自分のルーツがある。自分をきっかけに距離が縮まるような、懸け橋のような存在になれればうれしい」(種村 亮)  ◆朴 一圭(ぱく・いるぎゅ)1989年12月22日、埼玉県出身。32歳。朝鮮大学校を経て12年に当時JFLの藤枝(現J3)に加入。16年にJ3琉球(現J2)、19年に横浜Mへ完全移籍。正守護神として15年ぶりのリーグ制覇に貢献し、同年のリーグ優秀選手賞を受賞。20年10月に鳥栖に期限付き移籍し、翌年に完全移籍。J1通算119試合、J3通算147試合出場。180センチ、76キロ。既婚。  

 

◆日本国籍を取得した主なJリーガー

 

ラモス瑠偉 ブラジル出身で日本リーグ・読売クラブ(東京Vの前身)在籍時の89年に帰化。V川崎、京都でプレー。 ▽呂比須ワグナー ブラジル出身で97年に帰化。平塚(現湘南)、名古屋などでプレー。日本が初出場した98年フランスW杯のメンバー。  

▽三都主アレサンドロ ブラジル出身で01年に帰化。清水、浦和、名古屋などでプレー。W杯は02年日韓大会、06年ドイツ大会に出場。  

▽田中マルクス闘莉王 ブラジル出身で03年に帰化。浦和、名古屋、京都などでプレー。04年アテネ五輪、10年南アフリカW杯に出場。  

▽李忠成 東京都出身で、在日韓国人として04年にFC東京の下部組織からトップ昇格。07年に帰化。08年北京五輪に出場。

 

 

 

ミョンウの記事をご覧ください。

 

 

(引用元:金 明昱さんのフェイスブックより)

 
 

サガン鳥栖GK朴一圭選手は本当に色々と悩んだ末での日本国籍取得だったと思います。彼をインタビューしたこともあり、この決断には少々驚きました。

 鄭大世選手と同じ朝鮮大卒で、“朝鮮籍”のままで朝鮮民主主義人民共和国代表(以下、北朝鮮代表)入りを考えていた時期もあったはずです。

 自分もそうでしたが、朝鮮籍のままでは日本で“無国籍状態”で自由に海外に行きにくく、その後の韓国籍取得は理解できます。問題はその先のW杯。

(ちなみに“朝鮮籍”=“北朝鮮国籍”を示すものではありません)

 日本で生まれた在日コリアンフットボーラーにとって、W杯出場を叶えるのはかなり険しい道です。北朝鮮、韓国、日本。いずれかの国で代表入りを目指す可能性がありますが、仮に、北朝鮮代表が国際大会に積極的に参加し、タイミングよく朴選手が選ばれていたのなら、日本国籍取得はなかったのかもしれません。

 韓国籍取得のあとは、“韓国代表”を目指すこともできますが、本国がJリーグでプレーする韓国籍の在日コリアン選手に目を向けるのは皆無。過去に元ヴィッセル神戸の朴康造(パク・カンジョ、現INAC神戸監督)が韓国代表としてプレーしていますが、定着はしませんでした。

 そもそも朴選手が韓国代表を目指すにも、ご存知の通り韓国代表GKは層が厚いです。

 Jリーグの外国人枠の規定で、ACLの出場機会に恵まれない経験もしているのも大きいと言っています。日本で生まれ、Jリーグでプレーする朴選手が自分のサッカー人生を豊かにしたいと考えた場合、日本国籍取得という選択は、自然な流れだったのかもしれません。

 ただやはり、在日コリアン社会においては、彼の日本国籍取得を残念に思う人も少なからず存在します。Jリーグでプレーした元北朝鮮代表の安英学、李漢宰、鄭大世、今も現役の梁勇基らは朝鮮学校でサッカーをする子どもたちには今も憧れの存在。

 もちろん、朴選手も母校の朝鮮学校に訪問し、自分が育った環境への感謝とサッカー部の学生たちとの交流はしているようで、これからも夢を与える存在であるのは変わりありません。

 悩んだ末での決断。元日本代表の李忠成選手のように、やるからには4年後の日本代表入りを目指して奮闘してほしいです。

 
 

 

※がんばってほしいですねー