J2仙台40歳梁勇基選手 パワハラ問題に揺れた旧友・金明輝(鳥栖前監督)への想いも… | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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(引用元:Yahooニュースより)
 
 
 
 
パワハラ問題に揺れた旧友・金明輝(鳥栖前監督)への想いも…
40歳梁勇基、仙台復帰で誓う2009年の再現「J2降格は他人事ではなかった」
 
 
 
 
 

 4人の子どもの良きパパでもある梁勇基(リャン・ヨンギ)は、佐賀を離れるべきか悩みに悩んでいた。 【画像】40歳梁勇基がベガルタ復帰!10番でキャプテン…よみがえる2009年の「J2優勝&昇格」当時の“歓喜”を見る 「子どもたちが佐賀の学校で仲良くなった子たちと離れるのが嫌だって言うんです。それを聞くと父親としては複雑な気持ちですよね……」  子を持つ親の揺れ動く感情が見え隠れする。だが、もう一つ、“自分の家族”のような存在の現状も無視できないでいた。 「ベガルタ仙台のJ2降格は他人事ではありませんでしたね……。16年間お世話になりましたし、自分のことを大切に育ててもらったクラブ。だからこそ、昨年の降格は自分にとってもショックでした」  梁は真剣な表情でそう語り始めた。

古巣ベガルタ仙台へ復帰の理由

 昨年までの2年間、サガン鳥栖でプレーし、今季からベガルタ仙台に完全移籍した。プロデビューした仙台で、生え抜きの中心選手としてサッカー人生のすべてを注ぎ込んだクラブに対して、“他人事ではない”という感情を抱くのはごく自然なことだろう。  梁が続ける。 「これは少し変な話になるかもしれませんが、もしそのまま仙台がJ1で今シーズンを戦うことになっていれば、自分は多分、サッカーをやめていたのかなと思います。ただ、J2降格を見た時に何か自分の中で引っかかるような感覚があったのは事実です」  少し驚いたのは、実は「引退」の選択肢があったことだ。仙台の現状にモヤモヤした気持ちはありつつも、一方で「2020年に鳥栖に行くことが決まった時には、『ここでやり切ろう』っていう思いが強かった。そういう気持ちで鳥栖に来ました」という。だからこそ、仙台を離れてからは、自分はもう関わることはないと思っていた。  そんな中での仙台からのオファー。梁に迷いはなかった。2019年以来、3年ぶりの古巣への復帰に「自分が一番驚いている」と笑う。 「3年前にベガルタを退団する時には、まさか選手として戻ってくるなんて思ってもいませんでした。それまで自分がサッカー選手を続けているイメージも持っていなかったので、仙台移籍が決まった時は自分が一番、驚きましたね」  今年1月に40歳になったばかりのベテランに与えられた背番号は「10」。2006年から背負ってきたエースナンバーをクラブが用意してくれていた。そして、新チームの主将も託された。その粋な計らいに「重責を感じる」と語る。  責任の重さでいえば、鳥栖での2年間もそうだ。梁にとっては短くも濃い経験ができた貴重な日々だった。 「家族みんなで引っ越したのですが、佐賀での生活は何もかもが新鮮でした。それこそ運転するのも今まで走ったことのない場所ですからね。いい人達との出会いもたくさんありましたし、本当に住みやすい。気候も暖かければ、食事もおいしい。コロナ禍でなかなか出かけることはできなかったのですが、とにかくサッカーをするにもすごく良い環境でした」  加入1年目の2020年シーズンはJ1リーグ22試合、21年は7試合と出場機会は多くなかったが、「個人的にはサガン鳥栖に来て良かった。若い選手が多い中で、自分自身も色んな刺激をもらいながらサッカーにしっかりと取り組めましたから」と振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

 

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(引用元ベガルタ仙台ツイッターより)



原崎監督「ユアスタは特別」ベガルタあすホームで開幕戦(河北)kahoku.news/articles/20220… 20日の開幕戦で新潟を迎え撃つ。原崎監督は「ユアスタは特別だと思っている、アドバンテージになる」梁勇基は「キャンプでいい準備ができた。開幕戦でしっかり表現し、一丸となっていいスタートを切りたい」


 

 

 

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