東京朝高サッカー部との深い縁 名称 小嶺忠敏監督 死去!(高校サッカー6度優勝に導く) | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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(引用元:TBSニュースより)
 
 
 
国見高サッカー部を6度の選手権優勝に導いた名将・小嶺忠敏さん(76)死去 教え子に大久保嘉人ら
 
 
 

 

 

 

 

 長崎・国見高校サッカー部の元監督で同校を6度、全国高校サッカー選手権大会優勝に導いた名将・小嶺忠敏さんが7日に亡くなりました。76歳でした。

 関係者によりますと、入院先の病院できょう午前4時24分に亡くなり、肝臓を悪くしていた、ということです。現在監督を務めている長崎総科大附属高校は去年12月28日に開幕した全国選手権に出場しましたが、小嶺さんは体調不良でベンチ入りしていませんでした。

 小嶺さんの教え子には2021年シーズン限りで現役を引退した元セレッソ大阪で日本代表の大久保嘉人さんや平山相太さんなどがいて、数多くのJリーガーを育てました。

 

 

 

 

東京朝高サッカー部との深い縁

 

 
 
 
小嶺忠敏監督 死去
 
小嶺監督:国見高校監督時にイギョラ杯浸透のため、尽力してくださった方。
→全国的にも有名になったイギョラ杯は小嶺監督の尽力がとても大きかった。
 
また、2020年のイギョラ杯は中止になったが、東京朝鮮、藤枝明誠、長崎総科大の3チームだけでも行おうとしてくれたエピソードもあった。
2004年、選手権準決勝前に東京朝高グラウンドで最終調整をし、試合に挑むというエピソードがあるくらい交流が深い。長崎総科大は2021年のイギョラ杯にも出場し、2022年のイギョラ杯にも出場予定。
 
 
 
こんなエピソードも
 
 
 
広島朝高サッカー部が2001年初のインターハイ
 
 
 
出場が決まった時のお話
 
 
 
(引用元:李さんのフェイスブックより)
 
 
 
 

2001年に本校がインターハイ県代表になった翌週(月曜日だったか火曜日だったか週の前半)に当時の監督の高隆志先生が「小嶺監督から来た!」と私に葉書を見せてくれた事思い出しました。

短いお祝いの言葉でしたが、とても達筆ですぐに筆を執ってくださった心遣いも含めて「先生だなぁ」と強く思ったことを覚えています。

 
 
 
 
※全国のウリハッキョサッカー部の為に
 
 
 
本当にありがたいですねー
 
 
 
 
 
 
 

国見高元監督の小嶺忠敏さん死去、76歳 現長崎総合科学大付監督

 
 
長崎・国見高で監督を務め、03年度大会まで戦後最多6度の選手権Vを飾った小嶺忠敏さん(現長崎総合科学大付監督)が7日午前4時ごろ、長崎県内で亡くなった。76歳。
 
昨年末に開幕した第100回全国高校サッカー選手権でも、長崎総合科学大付が出場していたが、初戦から体調不良でベンチ入りできていなかった。 親しい関係者によると、小嶺さんは数年前から、肝臓など内臓を患い、持病の悪化もあって、闘病を続けていたという。 人生のすべてをささげる熱血指導で、高校サッカー界をけん引。さらに、C大阪で現役引退したFW大久保嘉人氏(39)ら、日本代表選手やJリーガーも育てた。 通夜は8日午後7時から、告別式は9日正午から、南高葬儀社 寳玉殿(長崎県南島原市深江町丁4593)で行われる。喪主は妻の厚子さん。
 
 
◆小嶺忠敏(こみね・ただとし)1945年(昭20)6月24日、長崎県南島原市(旧堂崎村)生まれ。島原商でバレーボールからサッカーに転向。大商大を卒業し68年、赴任した島原商高のサッカー部監督に就任。73年度大会から11年連続で選手権に導くなど一時代を築いた。84年に国見高に移ると同校を06年度大会まで21年連続で全国高校サッカー選手権出場に導き、戦後最多の優勝6回を記録。06年3月に国見の校長を定年退職後も、総監督として指揮した。07年1月9日に総監督を辞任、夏の参院選長崎県選挙区に自民党公認で出馬も落選。V・ファーレン長崎社長などを経て、現在は長崎総合科学大教授で、同大付属高サッカー部監督も務める。
 
 
 
 
※心よりご冥福をお祈り申し上げます。