朝鮮民主主義人民共和国の今 143(北朝鮮の母娘がみせた“笑顔”29年間43回の訪朝で見えた姿) | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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朝鮮民主主義人民共和国の今 140 (北朝鮮軍事委が拡大会議 金正恩氏、水害復旧支援を指示) 

 

朝鮮民主主義人民共和国の今 141 (朝鮮の虹を見ながら) 

 

朝鮮民主主義人民共和国の今 142 (아름다운 대동강반)

 

↑(1~142はこちら)

 

 

 

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の今のありのままをアップします。

 

 

 

今日は こちらをご覧ください。 

 

 

 

 

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(引用元:AERAより

 

 

 

 

北朝鮮の母娘がみせた“ありのままの笑顔” 29年間43回の訪朝で見えた市民の姿とは〈AERA〉

 
 
 

 

 

 

 

フォトジャーナリストの伊藤孝司さんは、29年間43回にわたり北朝鮮を訪れ、その変化を見つめてきた。市井の人々の自然な表情を撮るまでには、長年の苦労があった。AERA 2021年8月16日-8月23日合併号から。

 

 

 地下鉄車内で、ひざの上に幼い娘を乗せてほほ笑む若い母親。フォトジャーナリストの伊藤孝司さん(69)が2019年5月に撮った会心の一枚だ。乗客の中には、スマートフォン(スマホ)の画面に見入る人もいる。  日常生活のひとこまをとらえた場面だが、撮影場所は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌(ピョンヤン)だ。「市民の自然な表情が撮れるようになるまでには、長年の苦労があった」と振り返る。  伊藤さんが北朝鮮を初めて訪れたのは、1992年のことだ。広島・長崎の被爆者取材をきっかけに、80年代からアジア各国で戦前・戦中の日本の侵略や植民地支配で被害を受けた人々に会い、カメラに収めてきた。日本企業が戦後、環境破壊を起こした各国の現場も訪ね歩いた。北朝鮮だけが、未踏の空白地として残っていた。  91年8月、韓国で金学順キムハクスン)さんが戦時中に日本軍の慰安婦をさせられたことを、ほぼ半世紀ぶりに公表した。これをきっかけに名乗り出が相次ぐと、伊藤さんは各国で取材。92年8月には初めて北朝鮮を訪れ、慰安婦だったという女性の話を聞いた。 

 

■歴史的な課題も取材  

 

その後、北朝鮮が水害や飢饉に見舞われて訪問できなくなり、98年に単独での取材申請が初めて許可された。以来、2019年まで毎年、計43回訪れ、主に「日朝間に山積する解決すべき歴史的な課題」を取材してきた。広島・長崎で被爆した在朝被爆者や、戦時中に日本の鉱山や軍需工場で働かされた元徴用工らに会った。戦前から北朝鮮にとどまる残留日本人や、帰還事業で北朝鮮に渡った在日朝鮮人の日本人妻らにも会った。70年のよど号ハイジャック事件犯行グループも取材した。  さらに日本政府からの支援物資の配布先や、北朝鮮の経済状況なども取材した。  核・ミサイル開発に対する制裁の一環で、日本政府は北朝鮮への渡航自粛を要請している。しかし伊藤さんは「体制や文化が異なる国を訪れて現状を伝え、日本との間で残された未解決の問題を提起するのはジャーナリストの務めだ」と考え、ここ数年は年3回のペースで訪朝していた。20年にも3回訪れる予定だったが、新型コロナウイルスの感染を恐れた北朝鮮政府が国境を事実上封鎖し、訪問できなくなった。

 

 

 北朝鮮は「飢餓にあえぐ独裁国家」という印象が強い。しかし伊藤さんが実際に見た隣国の姿は、日本で伝えられるイメージとはまったく異なっていた。  伊藤さんは市民の「自然な表情」を撮り、紹介しようと考えた。しかしそれは、簡単ではなかった。 ■息づかい感じる距離で  北朝鮮を訪れる外国人には、通訳を兼ねた案内人の職員がずっと同行する。表通りの整備された風景は撮らせても、一歩入った路地など「なるべく見せたくない」場所での撮影はかなり渋られた。しかし訪朝を重ねるうち、「悪意をもって紹介するのでなければ、何を撮ってもいい」と許されるようになった。  写真家として、被写体にはできるだけ近づき、息づかいも感じられるような距離で撮影してきた。当初は、いきなり近づいてレンズを向けると、カメラに慣れない相手から怒られることもあった。しかし5、6年前からスマホが急速に普及し、自分たちで撮ることが当たり前になると、カメラに対する人々の拒否反応も薄れていった。  地下鉄車内で伊藤さんは、偶然隣席に座った母子に向けて、30回ほどシャッターを切った。その間、母子も周りの乗客も、にこやかに見守っていたという。  国連の制裁や自然災害により、北朝鮮は、食糧難など経済的に困窮した状況といわれる。しかし、伊藤さんは「多数の餓死者が出た90年代末と比べれば、人々の表情や暮らしぶりにはまだ余裕があるようだった」と語る。  軍事パレードやマスゲームに限らず、街角の風景にも軍人の姿や隊列、あるいは金日成、金正日親子の肖像が登場するのも、この国の日常の一部ともいえる。「私たちは、隣国のありのままの姿を正確に理解する必要がある。そのための材料を提供したい」と伊藤さんは考えている。「平壌の人びと」をテーマにした写真展を、東京や名古屋など各地で開催予定だ。(朝日新聞編集委員・北野隆一) 

 

 

 

 

※AERA 2021年8月16日-8月23日合併号

 

 

 

 

※また共和国の情報入りましたらアップしますねー