10万人死亡の東京大空襲で“多くの朝鮮人”が犠牲になっていたことをご存知ですか? | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

毎日ブログ更新して15年かっちんブログでは全国の朝鮮学校(ウリハッキョ)情報・サッカーの速報・全国の在日同胞達の熱い活動をもっと知ってもらいたいので最新情報をアップしております。青商会時代で培ったネットワークを使って全力で発信しております

 

 

(同志からの情報)

 

 

 

10万人死亡の東京大空襲で“多くの朝鮮人”が犠牲になっていたことをご存知ですか?

 
 

 

 

 

空が真っ赤に燃えた日

この夏、世間の注目は新型コロナウイルスや東京オリンピック・パラリンピック開催に集まっているが、8月15日の終戦の日が今年も近づいている。「平和の祭典」とはかけ離れた状況にあった76年前の東京を振り返り、「あの日、空は真っ赤に燃えていました」と語る一人の在日朝鮮人に話を聞いた。

「あの日」とは、太平洋戦争末期の1945年3月10日、東京大空襲があった日のことだ。一夜にして約10万人もの人々が犠牲になったが、その中に多数の朝鮮人もいたことを覚えている人は今、どれぐらいいるだろうか。当時、被災地域に住んでいたとされるのは約5万人 (朝鮮銀行の調査)。彼らが東京の下町にいた理由は日本による朝鮮の植民地政策に直結する。

当時を語ってくれたのは、東京大空襲で妹2人を失った在日朝鮮人2世の金栄春(キム・ヨンチュン)さん(86)。9歳だった金さんは空襲のその日、本所区(今の墨田区)から千葉県に疎開中だった。東京にいた父母や2人の妹が心配でたまらず、滞在先の寺から東京方面の空を見て不安な一夜を過ごした。

 

 

 

(引用元:南茂 芽育 毎日新聞記者の記事より)

 

 

 

 

 

 

 

 

↑続きはこちらご覧ください。