2年生は7人…なぜ大阪朝鮮高は少人数で花園4強を掴めた? 野澤武史コーチが即答したその理由 | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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(引用元:Number Webより)
 
 
 

 

2年生は7人…なぜ大阪朝鮮高は少人数で花園4強を掴めた? 野澤武史コーチが即答したその理由

 
 
 
 
 
 

104名。部員数にあらず。全校の男子生徒の総員である。女子は106名。計210名の小規模の学校だ。山間部ではない。海沿いの村でもない。大阪メトロ中央線の吉田駅が最寄りのはずである。

 その大阪朝鮮高級学校のラグビー部が花園の全国大会で10大会ぶりに4強入りを果たした。1月5日の準決勝。この4日後には日本一となる桐蔭学園に12-40で敗れた。こちら神奈川の私学は「102名」。というのは部員数、全校の男子生徒は1977名、女子が1423名と資料にはあった。

「全力で戦った。胸を張ってほしい」

 

 

小よく大となり巨大に立ち向かった。39歳の社会科教師、権晶秀(コン・ジョンス)監督の敗戦後のコメントに実感はにじんだ。

部員は39人、指導には“慶應のゴリ”

 学校の規模を考えれば、大阪朝鮮高が、激戦の大阪地区予選を突破、それどころか花園のセミファイナルまで進んだのは「快挙」と書きたくなる。そして41人(女子マネジャー2人を含む)の部員を確保していることも、また、快挙かもしれない。男子102人のうちの39人がラグビー部員なのだから。

 激しいタックル。強固なモール。前へ前へと足を運ぶフィットネスと意識の高さ。「朝高(ちょうこう)」の伝統は健在であり、ひとつの試合を重ねるごとに跳躍できた。

 なぜ? 花園ラグビー場でそれを語るにふさわしい人と会えた。

 野澤武史。41歳。かつて神戸製鋼に所属、日本代表のフランカーにも選ばれた。ラグビー愛好者には「慶應のゴリ」の印象が強いかもしれない。慶應義塾高校主将で花園出場、大学でもキャプテン、野太いリーダーシップで鳴らし、のちに母校のコーチを務めた。ゴリは昔もいまも変わらぬ愛称だ。

 ラグビーを離れた顔は出版社の代表取締役社長である。かの山川出版社、歴史書の老舗の経営を担う。さぞや多忙だろうに愛してやまぬラグビーの前線を離れない。余暇を用いては大阪朝鮮高の指導に足を運んできた。2012年に日本協会のコーチ研修で同校の呉英吉(オ・ヨンギル)前監督と知遇を得て以来の関係だ。

 それは「慶應と名のつくチーム以外を教える初めての経験」だった。「声をかけていただいたので、いらないと言われるまでは、ずっと通おうと」。

 

 

 

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 さっそく聞いた。大阪朝鮮高、生徒数の限られた学校で4強まで勝ち上がれた。どうしてですか?  

「選手がみずから考える」
 
 即答に近かった。
 
「花園に入ってからも選手たちで練習メニューを組み立てたりします」
 
 野澤コーチはアタックとディフェンスのストラクチャーを教える。加えて「新しいスキル、トレンドを伝えるようにしています。選手は楽しいし、しかもチームとして咀嚼できるので」。

 花園の初戦。三重の朝明高校に対して、開始直後、パントを跳んでつかんだ9番、李錦寿(リ・クンス)がそのまま空中で後方にパス、切り札の15番、金昂平(キム・アンピョン)が走り込んで独走トライを奪った。「アウトレット」と呼ばれる現在進行形の技術だ。

 

 

「教えたら、さっそく使った。いっぽうで合わないと考えたら彼らは採用しない」

 コロナ禍。強化や吟味の機会は限られた。だから野澤コーチは部員に諭した。

「この大会は成長し続けたチームが優勝する。そのためには予習より復習」

 花園では試合間隔が短いので「次へ、次へと意識が向いてしまう」。あえて終えたゲームを振り返り、具体的な改善や進歩につなげる。大阪朝高はその流れをつかまえた。

 

 

 

 

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大会屈指の7番となった金智成

 選手もチームも大会で伸びた。無印のフランカー、金智成(キム・チソン)は象徴だろう。あれよあれよと大会屈指の7番となった。

 開幕の前、主力のNo.8、金勇哲(キム・ヨンチョル)主将、同じく10番の金侑悟(キム・ユオ)を負傷で欠く時期があった。そのことで金智成らの自覚はいっそう引き出され、結果、個の力が束と化した。層が薄いから層は厚くなった。

「(監督の)権先生はみんなの力を引き出す指導者です」

 強烈な個性や確固たる理論で牽引するというよりも外部の声に耳を傾け、ときに能力を借り、選手の自主性をうまく養う。李京柱(リ・キョンジュ)、邵基允(ソ・キユン)両コーチの献身がそれを支えた。

 

 

歴史には順番がある。金信男(キム・シンナン)元監督は、たぎる情熱と創意工夫で初心者ばかりのチームを猛然と花園へ導いた。呉前監督は、鋭い理論を身上の激しさと削り合わぬように浸透させ、全国強豪の地位を確かにした。権監督は、内部競争の生じにくい少人数の学校とクラブに合致した方法で成果をもたらした。

 2010年度。大阪朝鮮高は花園4強の戦績を刻んだ。そこへ至る姿を描いたドキュメンタリー映画『60万回のトライ』(朴思柔、朴敦史監督)は高い評価を得て、たとえばラグビーがマイナー競技である韓国の国際映画祭でも賞を獲得した。

 公開時のデータに「2010年時点の全校生徒数」が記されている。男子が209名、女子は183名。この10年で半減に近い。社会情勢や意識の変化、大阪府の補助金打ち切りと国の高校無償制からの除外による学費負担の増大も背景に横たわる。

 全国大会準決勝進出のラグビー部の現在の2年部員は7名である。ベスト4は堂々の戦績であって、なお、からくも踏みとどまる薄氷の安息場なのだった。楽観はとても許されない。でも踏みとどまらなければ未来は悲観に傾いた。2020年12月28日から新年5日までの計4勝1敗。授ける者、引き出す人、考えながら闘争する少年たちによる替えの利かない時間だった。