<朝鮮学校襲撃事件10年>内なる差別意識 直視を | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

毎日ブログ更新して15年かっちんブログでは全国の朝鮮学校(ウリハッキョ)情報・サッカーの速報・全国の在日同胞達の熱い活動をもっと知ってもらいたいので最新情報をアップしております。青商会時代で培ったネットワークを使って全力で発信しております

 

 

 

 

(賢一同志のフェイスブックより)

 

 

 

 

[京都新聞]<朝鮮学校襲撃事件10年>内なる差別意識 直視を

 

 


https://www.kyoto-np.co.jp/articles/amp/205288

 

 

 

 

京都市南区で2009年12月に起きた朝鮮学校襲撃事件をきっかけに、差別を扇動するヘイトスピーチの取材を続けている。インターネット上でも路上でも差別や中傷がやむことのない現在は、10年余り前の事件と地続きにある。直視すべきは、私たち一人一人の内なる差別意識だ。

 「ヘイトスピーチする人は、未来の私の姿だったかもしれない。マイノリティーに無知なままだったら、ネット上やデモでヘイトをまき散らしていたかもしれない」

 昨年11月、市内であった襲撃事件がテーマの集会。パネリストの1人で、ヘイトスピーチ規制を研究する京都女子大4年の女性(21)の発言が印象に強く残った。

 集会には、事件の爪痕を追う連載「ヘイト追跡」の取材で訪れた。被害の実相と差別者の実像に加え、うっすらと漂う差別意識の広がりも問題提起する-。企画のコンセプトに女性の言葉が重なった。

 女性は、小学生で韓国ドラマやフィギュアスケート女子の金姸児(キムヨナ)選手が好きになったという。中学生になり、ネット上で在日コリアンへの差別文言に触れるように。書店に並ぶ「嫌韓本」の前書きを高校生の頃に立ち読みし、「差別されて仕方ないことがあるんだろう」と考えていた。

 障害のある親族がいる、という。歩行が不自由で言葉が出にくい親族が、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害された事件に際し、「私も死ねばよかったんやろ」と家族に向けて言う姿を、女性は覚えていた。

 朝鮮学校襲撃事件の存在は大学の講義で知った。ゼミで在日コリアン史を学び、京都朝鮮中高級学校(左京区)に訪問して、生徒や保護者と交流を深めた。生の声を聞き、無意識に差別を許容してきた自らに気がついた。そして、やまゆり園の事件をどこかで「仕方ない」と思う気持ちがあると悟った。そうした社会の差別意識が、親族に「死ねばよかった」と言わしめたと感じた。

 「自分が差別者であることを忘れないでいたい」。女性は、マジョリティーとしての自らが抱える差別性へ自覚的でなければならないと言う。それでこそ、差別していることに敏感であれる。鈍感であることが何より危ない-。女性のメッセージがわが身に迫ってきた。

 襲撃事件の発生直後、私は筆を執る立場にありながら、事件の差別性を速やかに記事で批判できなかった。その後相次いだヘイトデモの現場も取材したが、問題提起の記事は書いていなかった。差別で生じた被害にも、差別者が生まれた背景にも、踏み込んで取材してこなかった。

 10年を経て、事件を巡る連載を同僚と書き上げた。私たち取材班は「差別を許さない」との報道姿勢を明示した。そこには、差別に敏感であり続けるという決意を込めた。

朝鮮学校襲撃事件 京都朝鮮第一初級学校(閉校)に「在日特権を許さない市民の会(在特会)」メンバーらが押しかけ、ヘイトスピーチを浴びせた。周辺であったデモで差別的な罵詈(ばり)雑言が乱発された。民事訴訟で京都地裁判決は人種差別と認定、高額賠償を命じた。大阪高裁が支持、最高裁で確定した。