(ヨンホ副局長のFBより)
先日、記念すべき20回目となる青商会中央総会が行われた。
この日、尊敬してやまない青商会で唯一最後の先輩が青商会を卒業された。
自分自身、去年に青商会を卒業しているが、先輩は一人、「直前会長」としての責任を果たすため1年間、事業引継、相談役、アドバイザーとして青商会事業全般を陰で支えた。
中央会長OBは10名いらっしゃるが、先輩ほど気苦労、苦難が多かった会長は中々いらっしゃらないだろうと思う。
言い換えれば、非常に苦しい情勢下、条件下でも自分の事情を後回しにして、常に人を気遣い、他人の立場に立って物事を考え、周りの人を思いやりながら、会の代表者、責任者を立派にやり遂げられた。
先輩に補佐して感服し、学んだことは、何よりも絶対に弱音を吐かない姿勢、決して否定を前提に考えない姿勢だった。
会のスローガン、「豊かな同胞社会のために!子どもたちの輝かしい未来のために!」…と声は高く上げども、先輩が会長を務めた期間は本当に苦しい時代だった。
役員、会員たちを露骨に脅迫し、懐柔し、会を瓦解させようとする悪意に満ちた謀略は本当にひどかった。
その環境の中でも、決まったことはしっかりとやりきると言うことを目標にやり遂げたことがまさしく「青商会1万人ネットワーク」の達成だった。
もちろん地域、地方、中央の全ての役員、ヨルソンジャ、専任ら全員の力で成し遂げた奇跡的な成果だったが、この方が会長で無ければ果たすことが出来なかっただろうと自信を持って言える。
先輩だったからこそ、また先輩の決意と覚悟、熱い想い、威厳ある声に正義があり、真理があり、心があったから、先輩と同級生の役員をはじめ、全国の役員らが呼応し、成し遂げられたのだと思う。
自分が現役の時、承諾しがたい難しい問題も幾度となく提起した。
しかし先輩は否定しなかった。
専任イルクンの意見を常に尊重し、優先し、理解できなかったであろう難しい問題もグっと飲み込んで受け入れてくれた事は一度や二度ではなかった。
先輩は本当に謙虚な会長だった。
そうだったからこそ威厳や信頼や尊敬を、自分が求めることなく周りから自ずと集まってきた。
会長を中心とした同級生役員の団結、会長を支える気風は本当に美しく、羨ましくもあった。
同胞社会を前に公言することは果たせなかったが、昨年結成20周年を迎えた青商会の記念事業として「ピョンヤン学生少年芸術団」第4回日本公演を企画した。
朝・日間のストックホルム合意以降、改善の兆しが見えた情勢のもと、幼い子どもたちに祖国を感じさせてあげよう。同胞社会に大きなプレゼントをしよう!と決起した宇都宮の夜を忘れられない。
その後、共和国政府からもこの提案を熱烈に歓迎し、全面的に支持するという連絡が来た。
しかし、一方で内外で反対も強くあった。 朝鮮とは「距離」を置くべき、いまの情勢でできっこ無い、お金がかかりすぎる、また失敗したら誰が責任とるんだ…と。
そんな厳しい向かい風の中でも、誰に言われることなく会長は一番前に立っていた。
結果的に(自分の役割不足で)実現することが出来なかった。 日本の入国や公演の実現についての要請にここの政府は首を縦にふらなかった。
20周年の当日が刻一刻迫っている中、重大な決断をしたのも会長だった。
「中止じゃない。《延期》だ。」
その発言を聞いてつっかえていたものがスッと落ちていったのを憶えている。
連続ツアー公演「世代を継いで」は不可能という準備日数で、歌劇団や関係スタッフの「超犠牲的な尽力」によって公演前日に作品を仕上げ、中央と全地方青商会による不眠不休の準備作業の結果、全11回の公演を通じて目標通り1万人の観客を動員した。
会長を中心とした一心団結。
これが20周年事業をやり遂げることが出来た一番大きな要因だった。
ピョンコマはメキメキと力をつけている頼もしい後代が必ず成し遂げてくれると思う。
会長の卒業祝賀パーティー、慰労会と言うにはあまりにも素朴な場所ではあったが、先日の大阪フォーラムの次の日、奇しくも自分にとって本当に縁の深い地で行われた。
そこは自分が朝高を卒業して地域朝青活動を始め、また朝大を卒業してからも、合計5年間活動した「兵庫・尼崎西」というトンネだ。
洪マンギ元中央会長、役員OBの方々、同級生たち、後輩たちが店に入りきれないくらい集まり、終始楽しく、意義深い宴だった。
慰労会が終わって(中級部の)母校でもある尼崎初中にも訪問してくれた。
最後に店を出てから先輩と二人で「初めての」記念写真を撮った。
先輩への感謝と敬意、そしてまだ果たせなかった役目、責任を胸に刻みながら、この記念写真を生涯大事に撮っておこうと思う。
・・・
テリョン先輩、
会長に就任された直後、「これから一緒に頑張ろう。 ささやかな気持ちだけど、これで一張羅を作ってくれ。」と一流百貨店のスーツとジャケットの仕立券をプレゼントしてくれましたよね。
本当に嬉しかったです。
でも…その仕立券、実は使いませんでした。
いや、使えませんでした…
会長の期待に添った役割を果たしたと自分が思えた時に、スーツを作って先輩にお見せしようと思ってたのですが、結局、自分が現役の間に、また、会長が現役の間にそんな役割を果たすことが出来ませんでした。期待に添えミアナムニダ。
これからは後悔せずもっと頑張れるよう、この仕立券も写真と一緒に大切にとっておきます。
先輩、いつも自分の知らないところで気をつかって頂いて本当にコマッスミダ。
自分が幹事長を退いた後も「ホヨンホ副会長の意見を聞こう」、「ホヨンホ副会長にも発言させるように」と、どんな会議やモイムでも幾度となく陰で後押ししてくれたこと…
自分の提案を、組織の要求として受け入れ続けてくれたこと忘れません。
今までお願いすることばかりでしたが、これからは先輩の役にたてるよう頑張ります。
もう定期的に会う機会がほとんどなくなりましたが、くれぐれもお体に気をつけて頑張って下さい。
総会での最後の決意表明。
フォーラムの準備で直接聞けませんでしたが、先輩なら必ず実践され、見事に模範となられるでしょう。
今まで本当にコマッスミダ!
これからもチャルプタッカゲッスムニダ。
金テリョン同志。