東日本大震災 大規模半壊、東北の朝鮮学校は今 | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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かっちんの青商会物語





http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/news/20110727ddn013040036000c.html?inb=yt


↑東日本大震災 大規模半壊、東北の朝鮮学校は今=学芸部・手塚さや香








◇関心低く存続に不安


 東日本大震災の被災地にある朝鮮学校の様子は、4カ月を過ぎても日本のメディアでほとんど伝えられていない。今月9日、詩と音楽による「復興支援コンサート」を開くため大阪や京都などから東北朝鮮初中級学校(仙台市太白区)を訪れる人々に同行し、学校と生徒の様子を取材した。

 ■「一杯のクッパッ」

 JR仙台駅から西南に車で約30分。緑に囲まれた約10万平方メートルの敷地には古い校舎や寄宿舎などが点在する。現在は初級部12人と中級部13人が日々学んでいる。

 9日昼、激励コンサートの14人とともに学校に着いた。メンバーは日本人や在日コリアンの混成。私が日本人だとわかると、朝鮮語でわいわいと雑談していた女子生徒たちは「こんにちは」と大きな声の日本語で迎えてくれた。

 コンサート会場は損傷をまぬがれた食堂。全国の朝鮮学校や韓国の子どもたちから贈られた寄せ書きがあちこちに張られている。尹鐘哲(ユンジョンチョル)校長(50)は「震災から3カ月間、ここが物資供給や炊き出しの拠点でした」と振り返った。

 初級部1年生になったばかりの2人による朝鮮語の歌「1年生になったよ」で幕が開き、会場は一挙に明るい雰囲気に包まれた。保護者や卒業生たちが目元をハンカチで押さえる場面もあった。大阪市在住の詩人で在日本朝鮮文学芸術家同盟顧問の許玉汝(ホオンニョ)さん(62)が自作の詩「一杯のクッパッ」を朗読した時だ。



 愛しい 卒業生達よ

 とびきりの御馳走では

        ないけれど

 一杯のクッパッに

     込められた想いを

 忘れることなく

     胸に刻んでおくれ

(冒頭のみ抜粋)




 震災が起きた時は授業中だった。校舎3階の教室でコンピューターの授業を受けていた中級部3年の金怜華(キムリョンファ)さん(14)は「歩けないほど揺れて怖かった。校舎が古くて危ないので先生と一緒に逃げた」。寒がる小さな子どもたちに、中級部の生徒たちが自分の上着を脱いでかけた。

 学校再開は3月27日。卒業式の日だった。まだガスは復旧せず、外で火をたきクッパ(スープをかけたごはん)を作って卒業生の門出を祝った。

 震災直後に下級生をいたわった生徒たちのエピソードに感銘を受けた許さんは、この時の光景に重ねて詩に詠んだ。「これからも思いやりと感謝の気持ちを忘れないで」との思いを込め、卒業祝いのメッセージとした。



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 ■財政見通し立たず



 幸い、児童生徒に負傷者はなかった。だが、4階建ての鉄筋コンクリート校舎は16センチほど傾いた。入口の階段は崩れ、コンクリートがぼろぼろだ。校舎奥は肉眼でも垂直に建っていないことがわかる。授業は寄宿舎として使われていた建物で行われているが、8畳ほどにベッド2台が置かれた部屋は決して広くない。

 宮城県は震災後、学校を大規模半壊と認定するとともに、北朝鮮による延坪島(韓国)砲撃を受けて凍結していた昨年度分の補助金152万1840円を「人道的な見地」から支給した。一方で、今年度予算化していた補助金162万4000円については不交付を決めた。学校側は建て替えのための申請額の算定作業を急いでいるが、尹校長は「財務的な見通しはまったく立たない」とため息をつく。

 文部科学省は今回、阪神大震災などと同様に激甚災害法などを適用した。朝鮮学校を含む学校教育法上の「各種学校」の災害復旧事業には事業費の2分の1を補助するという。しかし、制度上、実際にかかる費用の半分が確実に支給されるとはいえない。

 現在の授業料は月約5万円。阪神大震災後、寄付金が激減したことなどから兵庫県内の朝鮮学校の閉校が相次いだ。そもそも東北に2校しかない朝鮮学校の存続は、保護者にとっても死活問題に違いない。




 ■「新しい形」模索も



 在日コリアンの死者・行方不明者は16人、建物の全半壊は100棟以上にのぼった。原発事故の影響で、福島朝鮮初中級学校(福島県郡山市)の子どもたちは新潟朝鮮初中級学校(新潟市東区)に“避難”し合同授業を続けている。被災地には韓国、北朝鮮の両国政府や民間団体、在日コリアン団体などから物資や義援金が続々と届いているが、「日本人の関心は高くない」(学校関係者)という。

 阪神大震災では、炊き出しなど地域住民が垣根を越えて助け合う動きが生まれた。大阪府は在日コリアンの人口比(入国管理局など調べ・10年末時点)が1・42%(12万6511人)、兵庫県は0・91%(5万1991人)と極めて高い。だからこそ関心も高まったのだろう。宮城県はわずかに0・18%(4407人)。東北で、彼らが忘れられた存在にならないか不安に感じる。

 それでも尹校長は前向きに語った。「震災を機に、韓国ではこれまでにないほど日本の朝鮮学校への関心が高まった。近隣学校との合同行事など地域交流を深めながら、新しい学校の形を考えていきたい」。東北の民族教育が目指すのは、単なる「再建」ではなく「再生」。それは日本にとっても同じだ。

 コンサートの最後に全員で校歌を合唱した。その歌声は保護者や教員、遠方から来た大人たちを逆に勇気づけるたくましいものだった。

 震災後、東北朝鮮学校は「大地は揺れても笑っていこう」を合言葉に決めた。その言葉通り、子どもたちの笑顔は明るく、狭い寄宿舎での授業に不満をもらす生徒もいなかった。被災地の子どもたちに国境があってはならない。私は東北で実感した。



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◇東北朝鮮初中級学校



 65年に東北朝鮮初中級学校として創立。70年に高級部を併設、全盛期の74年ごろには900人以上が在籍したが、北海道に高級部ができたことなどにより児童生徒数は減少傾向にある。09年に高級部は休校したため、卒業生の多くは茨城朝鮮初中高級学校(水戸市)で寄宿舎生活を送っている。






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http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004309008.shtml



↑ 進まぬ被災朝鮮学校の再建 神戸からの支援及ばず 



http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20110730-00000001-nnn-soci



↑ 新潟、福島で豪雨 18万人超に避難勧告

日本テレビ系(NNN) 7月30日(土)1時10分配信