15年前、このブログを始める時、やってはならないこととしていくつかのルールを自分に課していた。

 

うそ

人の悪口

自慢話

 

は書かない。

 

知ったかぶりはしない

 

もあった。

 

今回は、このルールを破ることになるかもしれない。

 

事実を書くことによって、結果的にそうなってしまうだけのこと。

 

べつに他意はないので。

 

二年ほど前から、不要なものの処分など身辺整理を少しずつ行っている。

 

先日、押入れから一冊のノートが出てきた。

 

ノートは、当方が週刊プレイボーイの副編集長から編集長を担当した4年ほどの間、月一回開かれる部数会議の資料を書きとめたものだった。

 

週プレは、創刊以来、ライバル誌<平凡パンチ>に発行部数で常におくれを取っていた。

 

それが、この4年間ほどの間に、ライバル誌との差を詰め、一気に抜き去り、160万部超えという信じられないような部数を出す週刊誌になっていった。

 

おれがやったんだよ、などと思ってはいない。

 

幸運にも巡り合うことができた、<本宮ひろ志><アグネス・ラム><落合信彦>という三つの強力エンジンが噴き出すジェットが、年間30万部アップという高みへ週プレを押し上げてくれていたのだ。

 

この三人を取り上げているだけで、部数も売上率も上昇していった。

 

同じことを繰り返すことをきらう編集者たちに、「読者は飽きない。飽きるのは自分たちだ」などとはっぱをかけ続けていただけだった。

 

運がよかっただけだよ。

 

ついていたのだ。

 

そう思っていたし、今でもそう思っている。

 

そこに現れたのが、<インベーダー・ゲーム>だった。

 

喫茶店のテーブルがゲーム台で、画面に現れるふわふわした白い物体を壊していくという単純なゲームが若者たちをとりこにしてしまった。

 

週刊誌を買うための金がゲームに吸い取られていってしまう。

 

<インベーダー・ゲーム>の大流行で部数の伸びはぴたりと止まり、下降に転じていった。

 

この趨勢には手の打ちようがなかった。

 

編集長交代。

 

週プレは、その後、部数を増やすことはなかった。

 

と書いてきてふと(?)。

 

当方のあとを継いで編集長になったS氏のことである。

 

定年退職後、作家としての名乗りをあげ、メディアの周辺を楽し気に浮遊しているS氏の様子は人づてに聞いていた。

 

彼の売りは、「<週刊プレイボーイ>を日本一にした男」というものだった。

 

えっ、まてよ。

 

当方のあと、部数が伸びたというデータはないんだがね。

 

それに、当時、彼は、<月刊プレイボーイ>というほかの雑誌の所属だった。

 

S氏は、所属していない雑誌の部数を日本一に押し上げるという神業を成し遂げた人間だったのか。

 

いや、これは失礼。

 

<作家>として名乗りをあげるためには、なにがしかの箔付けが必要なのだろう。

 

その辺の事情は、マスコミの片隅にいた当方にもよくわかる。

 

うそをついているなどと言うつもりは、まったくない。

 

うそも方便ですよ。

 

ひょっこり出てきた古いノートにあった事実を書いただけである。

 

Sさん、コロナに用心しつつ、せいぜい、楽しんでください。

 

津野海太郎「かれが最後に書いた本」(新潮社)。

 

小林信彦、多田富雄、野坂昭如などなど、脳梗塞でたおれた人たちの話がたくさん出てくる。

 

発症時の様子、その後のリハビリ状況など、姉の世話に関わるようになった当方にとって、参考になる話が多い。

 

 

14歳になったわが飼い猫<みり>。

 

この暑さがこたえるのだろう。

 

食べる量ががくんと落ちている。

 

腰回りのふくらみがとれ、すっきりした体形が戻ってきてるぞ。

 

二か月ほどの辛抱。

 

がんばりな。