◆結果からみて長兄が一番優秀だった。中学・高校の成績は3男の小生が圧勝だった。当時の大学入試は国立1期校ということで早稲田といえども国立大学が必須だった。早稲田政経は偏差値70を越え東大よりも上だったが東京と比べ高校の情報も低く受けてはならない雰囲気があった。僕は高校の指定通り、同志社・早稲田政経の順に合格していったが」、国立一期で躓いた。当時元気だった祖母が「三、一年なんか問題ない」と言ってくれたが親父は認めず、駿台予備校進学となった。これが間違いの始まり。翌年も東大失敗。僕は2浪は嫌で、早稲田政経に行くと決めた。親戚もそれが相応しいと。この方針が後々響く。調査不足だが早稲田の仲間はみんな東大落ちが全てみたいだった。このしこりが50年も続いていたというのだ。おばあちゃんがが正解だった。兄弟、次男が京大・理で褒められたが、長男がスタンフォード大学院卒となり世界一。学歴では圧勝。彼に馬鹿にされた。「三平よ、東大なんて26位だよ」また彼が当たっていた。