2019年8月  石川 三平

◆僕の事務所にはかなりの来客がある。そんな人たちを眺めていると気付くことがある。視点は「その人の品位」だ。自分で言うのもおかしいが四国のド田舎出身の僕の両親は躾には厳しかった。特にトイレ、風呂、玄関だ。よその家に行って「トイレを見ればその家の様子がわかる」と古来から言われる。そのせいか担当員時代も訪店すると必ずトイレをお借りすることが多かった。家族労務の家が多く、話の内容とあいまってなるほどと気づくことも多々あった。高校3年の時、大阪万博があった。当時大騒ぎされたこともあり、大学受験で大反対する両親を振り切り、仲間と2人で行くことにした。(彼は僕より成績下位だが現役で東大へ)。二人とも四国なので船で大阪弁天ふ頭へ。前泊地は友人の親戚のお宅に。靴を脱ぎお邪魔してご挨拶、食事もご馳走になり、お風呂を頂き、トイレもお借りした。風呂の後の歓談の最中、その親戚の方が僕にこう言った。「ずいぶん厳しくしつけられていますね。ご両親のことが想像できます」。言われた僕は意味不明。「なんのことですか。?」「風呂もトイレも次に入る人のことを考えていらっしゃる。玄関の靴も揃えて。素晴らしいです。」三平家はそのせいか女房も子供達も玄関・トイレ・風呂にはうるさい。僕の事務所のトイレには貼り紙まである。特に玄関の沓脱と使ったスリッパの脱ぎ方・並べ方は人さまざまだ。日本国で起きる異常とも思える事件の原因は「親の躾にある」と思えることが多いが、本人が気づかない「品位」のレベルにあることが多い。会社でも上位者に品がない人の会社の部下はそれを真似して品が無くなるのか。巷ではお笑い芸人に対する吉本興業の対応が話題だが話を聞いていると新聞業界の押し紙に似て「極めて品がないやり方」だと感じざるを得ない。契約書はあり、禁止行為は書かれているが、未だに個人契約。法人契約はほぼない。内部であれだけ主張してきたのに。品がない上位者には届かないのか」。

日本はどんな社会学者が何を言おうと資本主義国家である。資本主義を一言で言えば「モア&モア(もっともっと)の世界」。裏付けとなるテクノロジーの進化もある。年年歳歳人同じからず。簡単にいうと「来年の同日の自分の家庭の食事にどんな一品が増えているか」ということを新聞販売に携わる者は考えなければならない。新聞社の圧政が進む。圧政が続くと反動が大きくなることは世界の歴史が証明してきた。反動が行き過ぎるとその反動も大きくなる。正常な感性を維持することが不可欠だ。面白い本を読んだ。「私とは何か<本当の自分>はひとつじゃない!」(平野啓一郎)こんな一説があった。高校時代の友人と大学時代の友人の違い。青春時代の激しい変動期の中にいた自分が大きく変わったことに気付く。同時期強烈に教養も高まる知識と共に品位も向上するはずだ。今まさに不足する教養必読書を挙げる。①貞観政要 ②米百俵の心③呻吟語 ④菜根譚 ⑤吾妻鏡 多くは徳川家康の愛読書である。

◆品位の問題で結論づけるなら、原因は自分勝手に由来するものが多い。この人認知症じゃないかと思える人が周りにも出てきたが、面倒見がいいというのも面倒を見られた人から「この人にお世話になった」といわれるのが正当である。要は自分評価ではではなく、相手の評価が正しいのだ。近年の人間関係の薄さはひょっとしたらSNS会話の匿名手法にあるのではないかとさえ思ってしまう。匿名方式のせいで過剰反応社会が醸成されたかも。僕は匿名が嫌いだ。周りに「あれだけ世話になっておきながら、、、」という人」=最も下品だ。