2019年2月 石川 三平

◆「悪徳代官」まるで江戸時代の思想の根底にある差別意識が横行。中学時代の「いじめ」が新聞世界に蔓延っている。新聞社幹部の発言に「お店に対する愛情」が感じられないのは筆者だけか。自分の考え方・生き方がおかしいのか日常から検証してみる。

読売新聞社の販売局を退社して以来11年を経過。未だ幸いにも業界の多くの人たちと交流がある。日常は朝、8時に起床。ヨーグルト1杯、コーヒー1杯で紙の新聞2紙を精読する。1時間半。じっくりと。それも勉強会で「世の中の動きがすぐつかめる」ようポイント記事を切り抜きながらしっかり読む。10時事務所に移動し、15年間、1日も欠かさず付けている日記を付け、PCに向かう。読売・朝日・日経・ヤフーのウエブ版をチェック。FBのコメントを読む。その後、室内で女房から奇妙と言われる体操をしていつもの席に座り、メモを片手に5分間真剣に考えメモ記入。13時の昼食まで読書。(年間100冊目標、11年で2000冊読破)昼食後、仮眠1時間。仮眠後また読書。夕方、最近ではBSを観る。20時自宅へ戻る。入浴後、女房・娘と夕食。11時就寝。

◆生まれは1952年、四国愛媛県川之江市に男ばかりの4兄弟の3男として和紙問屋に生まれる。地元の保育所を経て地元の小学校へ。学年100名。お頭と言われる地元の旧家で山野を駆け巡って遊んだ。他の兄弟と異なり、友人が多く不良ばかりで「やにこい」とお袋に嫌がられる。4年生ぐらいまで運動のみ得意の生徒。5年生からなぜか勉強も急激に伸び、6年生では音楽以外オール5。そのため兄二人が通う、越境しての進学中学校を受験、合格。朝6時起床、当時は駅まで自転車、駅からD51列車、2時間。石川3兄弟と呼ばれた。最初の学期試験で驚いたことに成績は学年トップに。高校まで6年一貫高校で、学年度の正級長は僕で決まり。高校2年まで首席、3年度2番。典型的な優等生である。特に数学が得意。進学相談で外交官と述べたため、受験校は東大文一と決まり、滑り止めで早稲田政経政治と決まった。そのころから世界史に興味を持ち、法曹関係の文献も読むようになった。危険思想者と言われ、成績トップなのに一時停学処分も。案の定、早稲田政経は合格したが、親父の浪人命令。駿台予備校の選抜試験を。合格のこの時「井の中の蛙大海を知らず」を知る。それでも実力試験では合格保証。すぐ安心し、再び、文一と政経政治を受験。文一受験中腹痛でトイレ、早稲田政経は再び合格も、東大不合格。2浪は嫌で早稲田政経に行くことに。入学後学生運動に興味を抱き、その方の書籍を読みまくる。彼女のことで留年、翌年、新聞社なら受けてみようと読売新聞社を受験。なんと編集ではなく業務、面接の結果、販売。そして担当員コース。石油ショックの直後でえらい就職難。早稲田で1名合格のメーカーにも合格していたが、先達のすすめで新聞社となった。

◆そして1977年担当員研修として販売店実習。住み込みで3か月。YC金町店へ。記してきたように新聞屋さんの経験は皆無。最初から区域持ち配達3業務。住まいはボロ(?)店舗の2F。同じく区域持ち新聞奨学生のO君と同室。朝3時起き、すぐ自区域のチラシを入れ、配達に。自転車配達。読売320部、報知30部。朝刊6時終了帰店。朝食。仮眠。12時起き、ミーティーング。昼食、営業、帰店。15時、夕刊配達、17時帰店。夕食、ミーティング、18時半、営業、20時帰店、ミーティーング、翌日の自区域チラシ組み込み、終了。自室に戻ってから銭湯に。相部屋奨学生勉強、22時風呂から戻ってビール。23時就寝。奨学生居眠り。この店には週休はあった。大きな店で専業さん5人、奨学生16人ぐらい。確かに切り取りや営業ノルマはなかったが、専業さんは言っちゃ悪いがろくでもない人たちはかり。休みの日に夕方店にキンキラキンの格好で現れる。女のいる下品な店に行こうと。一番腹が立つのは、業務がきつすぎて奨学生たちが勉強がほぼ出来ない状態。卒業できない、就職もろくにできない、挙句は店に専業で残るものも。学業どころか知識、常識もない雰囲気。これに怒りを覚え、店主に訴えたことも何度もある。「新聞業界の非常識を正さなければならない」と決意。3か月後研修を終え、本社に戻り担当員助務から27歳で都内正担当員になる。その後の社内研修で社内講師先輩諸氏に、数学的マーケティングの必要性を何度も説くが、先輩は実務の成功経験則ばかりの話で、「この会社、大丈夫なの」という思いが募り、「自分が正すしかない」に。それから20年近く、担当員をやったが、自分のやりかたの右には「これは正しいか間違っているのか」モノサシを置いていた。そして非なることを変えることに重心を置いて後輩も指導してきた。現在読売販売幹部になっている社員たちに呼びかけ、「勉強会」なるものを創った。そして担当員に自分で考えることを教える為、毎月の「担当員考」なる原稿を義務付けた。

◆「通俗道徳」なる言葉が安倍首相が大好きな明治期に流行った。明治期は国民は大変革を強いられ落ちこぼれる人も多数いた。権力者は「努力不足」「金(予算)不足」と称し、運が悪いの名の下に不運な人を切り捨てた。今日の発行本社の人たちを見ていると、非なることを助長しようとしているのかとしか見えない。40年前の販売店状況から一歩も改善されていない。悪くなっている。20年前には環境は悪くても賄い付きの店が多く、「同じ釜の飯を食った」という家族愛てきなものがあった。今の専業は学もない臨配以下だ。奨学生は淘汰された。いい店主はお金と担当員の恫喝で淘汰され、学もない嘘つき、搾取人店主がほとんど。その質悪の人を担当員が恫喝。仕事の相談相手ではない。「そんなに嫌ならやめれば」だけ。M氏がリーダー時代も「奨学生あがりやメイトあがりを担当員に縁故採用してはいけません」と大注意したのに、今やその人たちが恫喝の中心。「合法的販売店づくり」や「拡張団に納税」を「従業員専業の年収基準(当時は、賞与払いを含めた返済が普通)」を叫んできた業界素人の入る余地はないのか。サブスクリプション方式を唱えても担当員から「それでは紙が増えません」と一喝されそう。彼らからは「どうすれば増えるのか」の策は全く聞こえてこない。「不正なるものへの反発心」と「その根拠を探す姿勢」が彼らにはない。