2018年8月 石川三平

◆現場では無読化(紙の新聞はいらない)という声が続く。僕に与えられたテーマは「紙の新聞の社会的なニーズは何か」ということ。ずっと考え続けている。

一つ言えること。「紙の新聞社がシンクタンクではなくなった」。これが大衆から見放された原因であろう。近年、マスメディアを騒がすことは日々大きく変わる。日大アメフト反則タックル、和歌山の資産家薬物死事件、東京医大の裏口入学問題、モリカケはどっかに飛んだ。新聞もTVも2,3日は特集のように報道するが、近年の大衆の価値観が大きく変動する中で、少しの時間的幅をもっての一連の事件を解説する記事が極端に少ない。この大衆の価値観の変動を解説することを大衆は求めているのに。例えば昭和20年代の世代と今の30代世代では日本共産党に対するイメージが大きくことなる。前者は暴力革命を求める超左翼と捉える傾向があるが、後者は思想的に中くらいだというイメージである。国家がどうあるべきか、正当なのはなにかを個人がヒントとして求めるのは紙の新聞のこうした解説記事であったはずだ。7月の酷暑が続く中、外に出ずに、クーラーのもと読書に励んだ。読書を続けると自分の教養が強化される。さらに続けるとどうしても「哲学」に至る。哲学に入り込んだあと、また雑読になる。また読書を続け、教養のレベルアップになると、また「哲学」に入る。どうもこの繰り返しのようだ。そこで思い当たることがあった。

◆それは明治期の新聞各社には著名な文筆家が紙新聞に寄稿していたことだ。ウェブのない時代、新聞の家庭への侵入の温度差はあるにせよその効果は大きい。特に朝日新聞社に夏目漱石が入社し、筆を振るったことが特筆される。その入社の辞を引用する。

「嬉しき義務」  新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ教授や博士になりたがる必要はなかろう、月給を上げて貰う必要はなかろう、勅任官になる必要はなかろう、新聞が下卑た商売であれば大学も下卑した商売である。只個人として営業しているのと、御上で御営業になるのとの差丈けである。

大学では4年間講義をした。特別の恩命を以て洋行を仰せつけられた、2年の倍を義務年限とすると此の4月で丁度年期はあける訳になる。年期は明けても食えなければいつまでも噛り付きしがみつき、死んでも離れない積りでもあった。所へ突然朝日新聞から入社せぬかという相談を受けた。担当に仕事はと聞くと、只文芸のに関する作物を適宜の量に適宜の時に供給すればよいとの事である。文芸上の述作を生命とする余にとって是程難有い事はない、是程心持のよい待遇はない。・・・・一気に脚光を浴びた朝日新聞である。

紙新聞の無読化は上記の施策で大衆の信用が盛り上がり新聞販売店が何をしなくても紙新聞の減は抑えられる。もう一つ大きなテーマが近未来には横たわる。「人不足現象」である。この解決策は「新聞販売店は合法的でなければならない」ということである。先に合配があろうがなかろうが、9割の既存店は非合法ということだ。折込収入の急減からくる経営悪化のため、本社はこの視線を持たず、存続して頂きたい店主を見放して、将来も不必要な人間を起用している。新聞業界は昔から有能な人材が集まらないと言われるが、それは従業員のことだけではなく、店主さんのことでもある。従業員から搾取できることは能力あるとは言えない。9割の現店主は非合法で搾取主義、これを本社が利用しているという構図だ。彼らを排除しなければならない。従業員の目で見ればすぐわかること。例えば「トイレ」「食堂」「住居」。どこのトイレを使えばいいのか。配達後は手が真っ黒、どこに手洗い場があるのか、不衛生でないか。昼食はどこですればいいのか。毎日、外食するお金はない。紙分け台で食べろというのか、これも商品台だしお客さんからみたら、翌朝入れの増頁や組み込まれた折込も積まれる。酷暑に自宅にクーラーがない部屋も。1週間前、TVは酷暑に「できるだけ冷房を使ってください」と。ところが昨日のTVは「ためらわずに冷房を使え」と「ためらわずに救急車を呼んでください」に変わっていた。現実はゴミが散らかった部屋で冷房なしの方もいる。証明は明らかで、新聞販売店にいらっしゃるお客さんが少ないことでもわかる。形式的に訪店はしても従業員さんの部屋(住まい)を訪れた担当員は少ない。本社に労政部なるものがあるらしいが現実に即した人が社会保険や市県民税源泉を受けている報告と全然違う。切り取り策は労働法規に合致するのか。店主に「観念しろ」という前に「自分が非合法で観念しろ」と担当員に言いたい。そこに経営補てんだからと副業が重なるとどうなるのか。新聞業と副業の場所分離は、一時的に借り賃を払っても使われている側の居場所と論理はない。副業で利益を出しても、赤字新聞業に益を合法的に移す方策は。

目線が大きく狂っている。

◆新聞発行本社A社Y社のリーダーの目線も大きく狂っている。先達が成し遂げてきた財産を失くしてはいけないとばかりの感性で、世界経済の大きなうねりが見えていない。ウエブの世界の4社が大きく経済を引っ張ってきたが、遂に温度差が見え始めた。新聞の世界も極端と言われるような衣替え・イノベーションが不可欠。なんにもできない新聞社に代わって、新興の新聞販売店側からその動きが見え始めた。既に販売局や担当員を相手にする店主はいなくなった。取引したくば、発行本社からお願いしてみろ、という姿勢である。当然なるかな。この数年の態度は反省の域を超えるものがある、と大衆は言う。