2018年2月 石川三平

◆経営者の強い意志だ。年末、A社もY社もN社も自系統でひどい被害を出した。やっと年を越えたと思ったら消費税、拡材支払い、中旬の給与支払いで行き詰まった。どうなってるんだとの想い。各社とも新春総会なるものがある。出た話は「出前館、アマゾン下請け、牛乳配達」、別業で益を出せという話。年末の年間業務通知表には「別業よりか本業に励め」とあった。なんだこりゃ、たまらんぞ。

1970年代に一流大学に在籍したものは、麻疹のような大学紛争に大なり小なり巻き込まれている。先日、西部邁氏の自殺報道にはその当時の者は驚いたものだろう。一流大学だからこそ紛争は根深く大学閉鎖、授業中止ゆえのクラス討論、テスト中止、レポートへの切り替えも数多く、学生間の議論も激しかった。そんな中、そこから逃れる者もいた。いわゆる「ノンポリ」だ。我は左翼には巻き込まれたくない。一定レベル以上の者たちではない。勉強するでもない兎に角何もしない奴らだ。巻き込まれた連中は、学生運動の衰退とともに、「挫折」していく。そして就職の時が来る。優秀だが挫折を味わい、強制を嫌う。上位下達の企業風土に合わない。辞めていく。そんな中、生きてくるのが「かのノンポリ連中」だ。上位に従い、時が来れば下位を強制する。それが今の一流会社に多い。ただ注意して欲しい。そんな連中はかつて自分で決め、物を創設したことがない。会社のトップに立っても安全優先でなにもしない、出来ないのだ。「たまらんぞ」の意はこれではないか。会議で「間断なく」を「カダンなく」と読んだのとはわけが違う。これは単なる「無知」、許される範囲だ。

◆東京に雪が降って配達大変だな、と感じていたときふと毎月取っている某雑誌を眺めていた。面白そうだなとそのページをめくると「伊方止めた」野々上裁判長の執念とある。地震、津波に火山リスクが加わり、泊、玄海、川内の差し止め裁判も予断を許さなくなった、とある。読み進めると「影響力の大きい高裁が初めて原発を止めた。昨年12月13日、四国電力伊方原発3号機の運転を差し止めた広島高裁の仮処分を決定。その8日後に満65歳の誕生日を迎え、定年退官した野々上友之裁判長は、公証人に転じる話を断り、今回の仮処分審理に傾注していたという」とあった。要は高裁が国策に影響を受ける原発に初めてNOを突き付けたというもの。驚いたのは、野々上という裁判長は僕の駿台予備校時代の親友だということだ。御茶ノ水にあった午前部文科系選抜クラスで一緒、当然同い年。関西出身ということもあり、ウマが合う。日々昼食時には明治大学の学食で食事、雑談。彼は僕と異なり一浪後東大へ、その後田舎の岡山地裁時代、僕が訪ねて行って一緒に大酒を飲んだことがある。この記事を読んだ後僕の感想は「あいつ変わってないな。大したもんだ」である。退官とある。「もう暇だろう。今度、訪ねて行ってみよう」。モチベーションはこんなところから。

◆「欲望の資本主義」というビデオを観た。一般の市民の考え方として「右でも左でもない。上でも下でもない。中間なんだ。表面は味方、事実は敵」という。これこそポピュリズムなんではないか。それにしても安倍政権に騙され過ぎていないか。権力者は権力を乱用する。安倍政権は三権分立の司法介入がひどすぎる。ゆえに誰一人景気がいいと感じていない状態でとんでもない逆風なのに選挙は圧勝してしまう。日本の大衆の勘違い中間層、生活が変わらない保守志向なんだろう。新聞代の値上げは目前に迫る。しかし世の中の注目点はアマゾンエフェクト問題による流通システムの「人手不足」。新聞販売店にとっては配達力ということになる。お金がまるでない新聞販売店にとってはディフェンス力勝負ということになるだろう。

◆でもこの先A社、Y社がもっとも恐れる「辞めてもらっては困る店主」の自廃が続くだろう。某店主の声、「やってられません、面白みがなくなりました」。またこうした声が本社には聞こえなくなっているらしい。だって本社の社員は自分がリストラされることを怖がり、そこから逃れるための競争に終始しているから。もっとも彼らこそ「平均値の集団」でたいした能力差はない。能力があればそんなところにいるはずがないし、外の世界でも十分戦えるはず。僕も弁護するのをやめるよ。あななたちと付き合ってると、こちら側のモチベーション意欲が持てなくなるから。