自分を起業せよ  

◆今日で読売新聞社を退社して丸5年である。このブログ原稿も公開数で200本を越えた。読書数は12年で1300を超える。還暦を迎え(一部では還暦祝いを2度もやったと言われているが、いわゆる「数え年齢」と「満年齢」である)意気軒昂と言いたいが、この11月は身体の一部に変調をきたした。10月半ば右目に違和感を覚え、すぐ眼科へ行って検査診察を受けたところ、網膜剥離だという。緊急でレーザー治療を施された。その後7回も眼科に通い、網膜剥離の専門家にも診てもらうなどしたが、手術の必要があるといわれた。意を決して11月15日に手術。手術そのものは1泊2日で成功したが、完全に視力回復には時間がかかる。10日後の今も9分目回復の状態で見づらい。年間100冊を超える読書とPCワードによる原稿書きに支障。最も困るのは「新聞が読みづらい」ことだ。今の新聞(朝・読・経)は値段に値する商品内容だとは認めていないが、見えないので読めないは困る(文句もつけれない)。

◆手術を受けると知人に知らせると、ほとんどの人から一様に「頑張ってください」と言われたが、お礼を言いながらも「麻酔をされて意識が無いのに何をどう頑張るのか?」と思っていた。ところが実際に手術(人生で3回目)を受けてみると、麻酔で眠っているはずなのに、右目の上で医者が作業している「圧力」を感じた。気分がいいものでないのは明らかで「早く済まないかな」と気持ちが頑張る。「頑張れ」とはこういうことか。勉強になった。また知人達に手術成功の報告をすると「ゆっくり安静に休んでください」という。

「ゆっくりおとなしくしている」のが一番苦手な小生にはこれが苦痛。3日目には見舞客接待の資料作りと称し、PCで原稿書きを始めるもうまくゆかずイライラ。女房はTVでも観ていろというが、TVは嫌い。やむなく頭でいろいろ思考巡らし、なんとかメモしようとするが、生来字が汚く、自分が読めないはめに。安静にしていることが、こんなに難しいことだと身を持って知った。(余談:眼科医院はめちゃ混み。待ち時間が長い。本も読めず暇なので頭でこの医院の損益を計算してみた。院長の給与、看護婦・事務員の人件費、医療器具経費等の支出、患者数・保険からの収入=なるほど)不謹慎か?

◆新聞販売店の売上利益バブル状態が長く続き、本来のデリバリー特化からの企業体質化を怠っていたころから、営業手法の転換は叫ばれてきたが、「商売としての旨味」の喪失とともに店力強化の美名のもと「カード生産を止める」という本質からはずれ、「団でなければいいだろうとSHや情開(本社の下請け営業会社)に外注する」手法に主軸がおかれるようになった。ところが「商品そのものが選ばれてお客様に買っていただける物」になっていない現実での営業の素人化での対応であったため、「良貨が悪貨に染まる」はめに。今の現実は「SH隊員や情開社員は店を出ると、店が用意したデータには目もくれず無視、ガサへ突撃。アンケート応募のお客様を拡材多用で何が何でもカードに」。後、お客様からクーリングオフが多数店に入る。何が新型セールスか。昔のどうしようもないダメ拡張員とどこが違うのか?案内する従業員さんも唖然。こんな方式、どのくらいのお店が歓迎しているのか考えてみたらすぐわかる。零であろう。だいたい商売なのにこれに誰がお金を払うのか。

◆「指示待ち症候群」が現代日本人に指摘されて久しい。最近ではひどい表現だが「ポチ症候群」とさえいわれる始末。君はペットの犬のポチ程度の人間かという意味か。デフレの始まり期にである。「会社人であるから、言われたことを消化している」という自己弁護が、実は会社に益をもたらさず、親の脛をかじるという能無し息子同然だということに気が付いていない。「日本人は中庸を重んじ、ゆえ保守的だ」という解釈は企業社会では通用しない。デフレから旧来方式では脱却できないことにやっと気が付いた日本社会で「イノベーション」の必要性が脚光を浴びてきた。技術革新は人間自身の考え方から始まるのだと。現場事象を販売店サイドから見たらどう見えるのかをまず考える。その上で自分で高めてきた知識を生かし、真剣にどうすべきか考える。自分が社員ならば会社で真剣に議論を繰り返せ。その上で出た結論ならば自信も持てるだろう。

◆自身を練磨しなければならない。

① 真剣に考える⇒書き留める

② 広い知識の補充

③ ウェブ利用の訓練

④ 現場臨場感の充実

時間の経過を漫然と自己弁護で過ごしてきた今、若き日の「夢・気力・体力」という人生の目的が奪われつつあることに気が付かねばならない。

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