新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

               2012年正月 石川三平

◆「のぼっていく坂の上の青い天のもし、一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみを、みつめて坂をのぼってゆくであろう」

司馬遼太郎著「坂の上の雲」の一節である。小生は司馬史観の同調者ではないが、年末TVでご覧になった方も多いだろう。堺屋太一氏は「昨年の大震災を日本国第3の敗北」と位置づけている。即ち、第一は幕末・明治維新。完全に以前の日本を放棄し、西欧化(近代化)に邁進。上記のような若者に富国の夢、目的を与え進んだ。第2の敗戦は誰しも認める太平洋戦争の敗北である。荒野と化した日本国を先達はいかに復国させたかは言を俟たない。そして今回の大震災である。新聞販売の現状をして、ある先輩は「太平洋戦争末期のようだ」と表現している。ウェブ進化による携帯電話の急速なイノベーションは新聞を日用必需品から追い出し、無読化現象が右肩下がりを余儀なくするなか、追い打ちをかけるようにリーマンショックによる経済不況が販売店の経営を困窮させる。そこにこの震災不況である。政府の対応も最悪。加えメディア(特に新聞)の政府ご用達機関かと思われるような政府・官僚発表情報の横並び、垂れ流し報道。政府の嘘、情報隠しが明らかになる中、「新聞は政府のチェック機能を果たしていない」ことが国民の周知するところとなってしまった。

◆最近の読売新聞の記事には呆れさせるものもある。先日の一面トップに「遅きに失した財政再建」とあり、まるで日本国の経済破綻予測。確かに経済立て直し策は必然だが、この表現と時期が問題。政府の消費税アップ策に連動宣伝しているようだ。清武問題に自社新聞の丸々1ページを使ったのにも大いなる疑問を感じる人も多い。震災後新聞の特に原発の横並び、垂れ流し報道に批判が集中した反省からか、12月に入り東京新聞がスクープを連発、人気を博している。朝日新聞も何とかしようとの動きが感じられる。がその他は?

販売店従業員からはこんなことを聞く。「自分がお客様に勧める商品だから、新聞を読めと言われて読んでいるが、無読のところへいっても、頭の中に『こんな新聞のどこを勧めるの』というジレンマが大きい」という声がある。販売店も従業員も昔と違いここまで買っていただこうとここまで努力しているのに、発行社内では独裁者の意向が怖いのか、旧型に終始。「頭の良い俺たちが書いている物はいいに決まっている」「カード、拡材、回収」という旧型が依然横行する。

◆堺屋太一氏はこうも発言している。「改革は受け皿を用意してから出発するものではない。まず、前時代の文化を否定することで始まるのである。」大震災時、避難所で新聞情報がありがたがられた。情報に飢えた方々に活字紙新聞は有効であった事実だ。ただし銘柄の違いはそうではない。新聞ならどれでもよかったのだろう。無駄な届けるために費やす人材と経費。共同取材・共同配達でいいのでは。それが消費者のニーズだったはず。いち早く、必要で正しい情報をウェブを使えない人々にも届ける、これが紙新聞の良さである。「地域とともに生きる新聞販売店を目指せ」と各社発言するが、地域の人々はYCとかASAとかでなく○○(所長の名字)さんとこの新聞に一番親しんでいるはず。誰が考えても、各社別々にお店まで運び、各店別々にお客様に配達する方式は無駄が多いと気づくはず。お客様の望むものは ①本当(政府・官僚の垂れ流しではない)の情報 ②毎朝定時に自宅まで届けられる の2点である。誰もお店独自のまごころサービス以外の拡材やカード化などは望んでいない。

◆新聞社の環境も少しずつではあるが進んできた。一つには朝日新聞社が打ち出した統合地区販売店対象の転出支援制度だ。デフレが続く中、地方(統合版地区)の経済的疲弊は著しく、発行社の負担も大きい。両者に益ある制度である。朝日社は編集と販売の風通しが良くなっている気がする。東北地区では地方紙との紙の預合いが進んでいる。東京紙(全国紙)販売店の部数拡張合戦は限界を超えている。今、来ようとしているのは13年、15年に始まる消費税アップ問題。セットで明らかに4000円を超える。食品のように非課税化は不可能。リーマンで発行社の経営が傷んでいるが(社員の能力の低下も著しい)、販売店は限界越え。改革をするためには、文化の破壊=新聞界においては「専売制からの脱却」ではないか。多すぎる発行社、多すぎる販売店の現状はこの大震災を契機として淘汰し、将来の相互の事業の安定に寄与するものだと提言したい。

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