◆新聞界でも関連企業で「内部告発」が発生して、世間を騒がせているが、○○部復活との大号令が突如として起こり、狂宴の宴が終了しようとしている今、残念ながら新聞販売界からの告発は未だ聞こえない。矛盾が極限に膨らんでいることは、業界人は当然の如く肌で感じているが、大声で話す人は皆無で、密やかな声が大合唱で聞こえる。新聞の歴史を紐解くと、最大の急成長を実現した要素は「社員、店主、従業員の懸命の努力」であり、それを一番重視した会社の経営者である。今はいたるところで、社員、店主、従業員達の「夢を失くした」怨嗟の声が聞こえる。本当に怒っている。告発の是非は別として、人間の性ともいうべき新陳代謝が業界、企業にも必ず訪れなければならない。現役世代は甘んじてそれを受け入れなければならないし、それを拒否する権利はない。そうでないと次世代に人間社会の進歩を促すことはできないことになる。「老い」が確実に進行するのはそのためであろう。「企業の伝承」とは「家庭の伝承」と同じことなのである。

◆「言われたことだけはやっています。でも、、、」。新聞販売の世界ではよく聞く言葉である。スポーツの世界での競技では「競争しながらも楽しむ」ということが言われるが、新聞販売の世界には、この「楽しむ」という概念は過去のものとなったらしい。厳しくとも楽しむ要素があった。それが無くなって「社員も店主も従業員も夢を失くして」いるのではないか。日本社会は政府の情報公開が不十分。それを垂れ流す新聞。経済政策の誤りはデフレ状況を長引かせ、企業はますますリストラ(社員、取引先)へなだれ込む。「言われたことをやっています」は自分の地位確保になるべくもない。自分方式がない人間は放逐され、当然再就職はない。この現実を両眼をかっぴらいて見て欲しい。これが現実の今だ。

AYの首都圏販売店の状況を考える。10月で折り込みの前年比は100%と落ち着きをみせるも、大震災前年2010年で2005年比75%。3000部取扱店で震災による損失は1200万、その後毎月の赤字50万と推定する。切り詰めてやっても所長の給料がない。もし店に借入金でもあろうものなら、火の車。店の借金は所長の個人保証。現実は預貯金の切り崩しで経営。両社とも総回収率なるものを旗印にしているが、実態は。まず自店回収率。Yで50%、Aで60%。販売店は経費削減をずっと勧め従業員経費減が大きい。ぎりぎりまで切り、人員不足で週休どころか日曜の朝刊後を休み、としているような店もあるくらい。カードどころではなく、紙集金と連動するが、カード料で一時しのぎをやむ無くされ、架空カードの自分支払い方式が横行。Yは外注の大型拡材、爆カードの縛りもできず、増減ダウンなく「まさしく自爆」。Aは本社が外注を害虫の如く無視したため、自給をできない店に強要。確かに増減は減った(外注の爆なく)が架空カードの累積で実配減。これは店ぐるみだが、いつまでも続くべくもなく火薬庫状態。Aの原因の主は外注の完全否定にある。無読への傾斜が今も続いていることへの対処を忘れている。Yも外注会社の経営難(人材不足)が続くため、供給がいつまでも続かないこと、カード購入者の販売店の資金不足で行きづまっていることを即認識しなければならない。Yの中に外注を止め、自店回収100%を狙う店があるが、100%に届かず、押し紙による仕入高騰が経営を圧迫している。一方A。イカサマは良くない。ウェブ版が伸びないからと言って、店主に「顧客アドレスの入手の仕方を教え、自分の口座で落とす」モニター方式か。信用を失くす。

◆今、一番求められるのは「販売店に体質改善も求め、その時間的猶予」を提供することである。何故ハンコというカードを求めるのか。何故物々交換方式を続けるのか。何故専売に拘り続けるのか.

(A社は東日本の統合版地区専売店に転職奨励を出したのが、一つのきっかけになる)。首都圏セット地区でもある複合共配ではなぜいけないのか。最大のポイントは「紙新聞の販売店のお客様への配達の能力を最大限生かす」仕事への体質変換にある。リーマンショックが多分一番新聞社に打撃を与えているだろう。ギリシャ、イタリア、そして続くヨーロッパ危機は第2のリーマンを生む可能性を秘めている。だとするならば、取引していただいて、その原価をお支払いただく新聞販売店の存在はますます大きい。ただ「隷属してはイエスだけ言う表面だけ実態ダメ販売店」は不要。店数が多すぎるのも事実。本社も店も不用は淘汰しなければならない時代が来たといえる。何度も提言する。「将来の確実安全安定な納金システム」を第一義に考えよ。

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