◆何かを試そうとする時、人間が一番不安を感じるのは「地図」がないことだろう。新聞業界は一般社会の進化・変化のスピードに乗り遅れ、限界産業化していることは、内部の人間ならどなたも肌で感じていることだろう。原因の大半は発行本社の怠慢であるにもかかわらず、その社員も取引で商売をしている販売店主も、「地図」がないために何も行動できないで、陰口をたたきながら現職、現業にぶら下ってきた。Yの1000万復活作戦(11月まで続き完成してみんなで旅行らしい、そして今は12月の部止まり期待作戦か)、これに刺激されたAの紹介カード運動、SHAKPというらしい)作戦の展開の話を聞くと、これは妄想なのか、と感じてしまう。Yが先行し、紹介カード運動もSHカードも正常ではないとのY系店からの声を聞いているはずなのに、自系ではそんなことはないとでも考えたのか。現場では多くの交流もあり、同じレベルの人間が為すことだとぐらいはわかっているはずなのに。驚きを通り越し、A系販売店に同情を感じざるをえない。

◆リーマンショック、大震災後、何人かの販売店主の方に「今後、どう店経営をどうやっていけばいいのか」との質問を受けた。「首都圏のお店なら、早く3億円を貯めて廃業することもありです」と答えたところ、「同じことをおっしゃられた方がいます」と言われた。「どなたですか」。なんと小生の大先輩の方の名前だった。30年も業界に携わって、以降もよく勉強をされている方で、業界を高くから眺めていると同じ発想になるらしい。サラリーマンなら退職時期、お店なら廃業時期もいつかは来るもの。それを何時だと決めるのは本当に難しい。小生の55歳での退職の場合、「あいつは単腹だから、ケンカしてすぐ」と言われそうだが、事実は5年間、綿密に裏付けある調査、研究、相談、特に将来の生活設計図描きを重ね決めたものだ。これはある程度見えていた「地図」を自分で描き、完成したものと言えよう。

◆未だに「体制内にいての改革」でないとダメという人がいるが、この人こそウェブを中心としたイノベーション進化の速さを理解していない。人生の岐路に立った時「これだけは変えられない自身の原則」を持っていなければならない。個人の考えだが「サラリーマンなら『正義』、新聞販売店主なら『商売』」だと考える。この考えかたを逸脱すると思った時が、真剣に考え始めなければならない時だ。首都圏では旧型の過当競争が手法の名前を変えただけの販売店に偽りの報告を強いるだけのものになり、同一地域ではどちらかが倒れる寸前の様相となってきた。配達すらままならないエリアも多いと聞く。既に経営力にはっきり差がついているようだ。共配への環境が妙にできたのかも。この期にA社が統合版エリアの店主に向けて「転進支援制度」なるものを発表した。小規模な専売店主に早期の廃業を勧めるもの。自系はもとより他系、いや業界全体に波紋を呼んでいる。将来への何の策も打ち出せない対抗社に比べ、議論無く評価できる。多すぎる販売店と新聞社、これが日本国民に寄与したビジネスモデルは過去のもの。淘汰があり、今ウェブとともに新たに国民に寄与できるものに、自らが改変していかなければならない。

◆高度成長期に活躍したお店の所長も「今の状態がいい商売ができていない」と考えはじめ、年齢とともに廃業を考える人もでてきた。将来の新聞販売業形態も見えてきて、ロードマップも描かれるだろう。新聞社の経営は益々販売店からの納金頼り比重の高まり形式から脱皮できない。「お金が足りないなら、我が身を削ればいい」は販売店にいう前に自ら行わなければならない。過剰な社員を抱えていないかの点検はないのだろうか。○○局不要論まで聞こえてこる。天下り、独立行政法人の無駄を紙面で強く迫っている新聞社である。新聞社社員が今最も大きなテーマとして真剣に考えなければならないのは「将来のお店からの安定納金」のことである。そのために何をすべきか。これが社員の最大の責務であろう。カードで騒いでいるうちに、お店も会社もセールスも大事な資産をどんどん失くしていることを知らねばならない。

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