◆良くも悪しくも新聞社にも世代交代が進みつつある。震災で社も店も経営上「存続を問われるほど」の痛手を受けた。今は緊急対応に明け暮れている状態で、近未来の設計図も描けていない。某社の新人事体制も世代交代の意は理解できるものの、何を強く打ち出したのかがわからない。現状維持の惰性の中で生きることを志向しているような気がしてならない。日本の新聞界もN社に続きA社もウェブ版を発行し、「紙新聞」との並立の道を選択したが、米国特にNYタイムズとWSジャーナルの低価格戦略が打ち出された今、その動向が心配される。こんな中Yの悪名高き1000万部も震災ゆえかABC発表でも切れた。「周囲はなんと中途半端な切り方だ」という声が大きい。新聞社にとって一番の収入減(震災での広告の急減の中益々比重が高まる)である取引販売店からの紙新聞の原価・納金収入をしてくれる販売店の存在は極めて重要であるのに、その存続への対策が過去の惰性にリーダーも社員も流されているような気がしてならない。

◆今こそお店との窓口である担当社員の力量が問われている。新聞社の収入の8割まで稼ぎ出す存在であるからだ。だが現状は震災で大きく変わるべき姿には程遠い。先日、某氏から「担当員の仕事の力量の差は何か」と問われた。「いかに多くの人にその商道の正しさを理解していただき、モチベーションを高め、将来その人々のプラスになる結果を出す動きが出来るかである」。古来から「権力」と「権威」の違いが語られてきた。その魅力ある能力・人間性により人々は動いてくれるのであり、「権力」ではなく「権威」によるものでなくてはいけない。そして近い将来、取引相手として優秀な人材を残しうるにも担当員の権威が問われることになる。

◆以上のように「権力」では絶対ないのに、「展望も語らず旧手法を間違った権力理解で押し付ける担当員」の存在も漏れ聞く。社内における無能な管理職の施策を自分なりの能力で新聞販売の現場に適合するアレンジ力の欠如であり、自分が惰性の中にあることを認識していない証拠である。惰性の中で生きることは楽そうに見えるが、人間関係の中で将来惰性で殺されることになる。地震後、生き抜くためには「体力が必須」と感じることが多いが、「惰性で生きてきた人は、自分は若い頃よくやったという思い出のないことになってしまう」ことを知らなければならない。N紙の私の履歴書、アサヒビールの瀬戸雄三氏の書き物の中に親父さんの言葉が載っていた。入社時お父様が彼にこう語った。「月給取りになったらアカン」と。彼は在社中、座右の銘としたそうだ。いつも会社全体のことを考える当事者意識が必要ということだ。

◆新聞社担当員は会社の収入の8割を稼ぐ重要なポストである。新聞社の方針の最大の誤りは「収入に応じた権力構造になっていない」ことにある。何故各社とも記者上がりの人間が経営にタッチしているのかが不思議である。書く能力と経営力は完全に別物。こんなことをしていては欧米で主流のCEOは実現せず、企業競争に負けるのは必至。販売局に在する者は、長年の慣習で「自分は経営とは無関係」と負け犬根性に染まっているのでは。この前提を取っ払い、当事者意識を全面に打ち出すなら、対応する販売店も「凄い」と魅力を感じるであろう。惰性に流されては絶対にいけない。自分の人生のためにも。「当事者意識を持ち、いかに真剣に考えつづけるか」が第一。次には「失敗してもいいからすぐに実行する」ことである。良い師を見つけよ。つまらない同僚との飲み会なんか全て拒否せよ。それこそ惰性である。若い今こそ全てに当事者としてやるべきことを考え、誰もやったことがないことにあたる。これこそが担当員の仕事だ。今だからこそ担当員の力量が問われている。

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