◆1971年(S46年)僕は駿台予備校に入学した。同年の受験に失敗し、再チャレンジのために同校選抜クラスを受験し、合格上京したのだ。香川県の6年制中高に在学し、6年間トップの成績を残し県内でも成績優秀で有名であり、先生・仲間・本人も含め誰もが合格を疑わなかったが、第一志望に何故か落ちた。母校は県内でも有名な進学校で、合格率は極めて高く、浪人する者を出した例はほとんどないほどの進学指導は万全校でもあった。当然同年も全員現役合格で、僕の不合格は後年も語り継がれるものとなった。そもそも進路を決める際から異常だった。進学相談の際、「将来どの方向に向かいたいか」の質問に「外交官志望」と答えた僕に、先生は「それなら東大法学部しかない」。当時、僕の得意科目は数学・物理・化学。社会(世界史・地理)は好きだが、英語・国語は苦手といった調子。それでも総合点は極めて高く、所謂国立文系で勝負したって問題はないと本人も先生も判断していたのだ。

◆こうして現役受験。第一志望校の数学試験中、なんと下痢で途中トイレ。得意科目で失敗し焦ってしまった。そして見事不合格。滑り止めに早稲田大学政経学部政治学科を受験していたが、こちらは合格。浪人するかどうかで家族、先生と相談したが、全員浪人せよとの声。それも駿台の選抜以外はダメということでそれを受験し入学することとなった。合格したもののその成績に驚いた。なんと1000人中650番。こんな悪い順番は始めて。東京はすごい。「井の中の蛙大海を知らず」を思い知らされる。住まいはなんと代々木ゼミのまん前。駿台に初めて登校したその日、250人定員の部屋、自分の席に既に他人がいる。「そこ僕の席だと思うんですが」「先に座ったほうが勝ち」「何、ふざけるな。どけ」と無理やり力ずくでどかす。初日からこれだ。田舎から出てきた気の弱い人はどうするんだろう。注意する人はいない。寒いのに窓は全開。窓の外から多くの人がたったまま受講している。講義が終わると、テーブルの上を人のノートもテキストも関係なく走り、窓から飛び出し次の教室の席取り。凄まじいの一言。すごい生存競争。負けたものは席がない。

◆持ち前の負けん気が功を奏し、一学期が過ぎるといきなり70番に上昇。ここでは普通500人が東大に合格する。力試しに代々木ゼミの公開模試も受けてみたところ、全て合格保証と出る。数学は全体でなんと1番(100点だから当然)。ここからが僕のいけない性格。超安心して予備校通いに手を抜いてしまう。テストだけは受けていたが、授業のほうは誰も行かないような物理や化学そして数学の方へ。所謂慢心。物理や化学はほとんど無関係の一次しか関係ないのに。映画鑑賞にも手を出してしまう。2次試験数学科目時にまたもや腹痛・トイレ。他の科目でも失敗を取り返せずまたもや不合格。因みに「下痢」は神経質の持病で後々まで「あいつは一日何回トイレに行くんだ」とまで言われたほど苦しむ。併せて受験した早稲田大学政経学部政治学科はまた合格。家族とも相談したが、2浪は嫌とこうして2度も合格した早稲田大学に授業料がアップしてから入学することとなった。ちなみに早稲田は3科目試験で英語・国語は必須。社会・数学は選択で僕は勿論数学選択。満点であった。

◆以上のような次第で私の履歴となる大学入試では、僕は得意な数学・物理・化学、好きな世界史・地理は全く役立っていない。後の就職試験の筆記試験で試験官から、「君は数学が異常に出来ているが」と言われたり、大学時代のアルバイトに「高校生に数学を教える」をやっていたのには役立ったが。その後仲間に影響されたのか就職はマスコミの道に行くことになった。新聞社の担当員なんて仕事は全く知らなかったが、そこに配属され、ついた親分(神尾親分)に思い切り感化された担当員生活を続けることになる。得意不得意問わず、学んだ学問とは程遠い世界であったが、持って生まれた性格は直ることなく「新聞の科学的販売」を唱え新聞販売に私なりにかなりの業績を残せたと自負している。担当員の最大の仕事とは「いかに多くの人達に動いていただけるか」であり、そのためには「彼らにいかに自分が魅力的であるかを感じていただくか」だと考える。

販売店主もしかり「いかに従業員さんに動いていただけるか」「そのために自分の魅力を磨く」ことである。

◆最近のノーベル賞受賞者の言にこんな言葉を見つけた。「異分野をつなぐ力」プラス「人をひきつける力」プラス「チームをまとめる力」が必要ではないか、というのだ。人は「物を知らないことで感じる恐怖感はないだろうか」。「物を知っている人に魅力を感じるだろう」。得てとするところではかり過ごしていてもそこから飛び出そうという時特別な力を発揮できるだろうか。日本の大学選抜制度、そして仕事についてからの環境はどちらかといえば「似たもの同士の集まり」。広くものを知らないもの同士が慰めあっているとしか思えない。新聞界に生きる人達は、経済学を語る人は多少いても、物理学、化学、数学を語る人は皆無に近いし、世界史や地理学にも疎い人が多い。こんな苦手とも思える分野だって、学ぶ気持ちさえあればどんどん身につく。まず考える視点が変わってくる。この考える視点を多く持つことが今は必要なのでは。日本新聞界はマードックやニューヨークタイムズ・ワシントンポストが出した電子版ワンコインに揺れている。対策は子供新聞や学生割引ではあるまい。発想の視点を広げるにも異分野の世界を思い切り勉強してみるのがキーワードと考えて欲しい。僕は母校の歴史に残る不合格を記録したが、不得意分野で生きてきたことに幸いを感じる。

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