◆先週に続き人間には2種類あるという話。小生と同じことを述べる記述があった。人間には二つのタイプがあるという。

① 自分のやりたいことを誰かに許可されるまで待っている人達

② 自分自身で許可する人達

②に属し夢を達成し、益を為した人々は口々にこういう。

「並はずれた業績を達成した最大の味方は、他の人達の怠慢である」と。予想される業界の先細りの渦中にある人々から一番多い質問は当然「どうすればいいんですか?」である。それに小生は必ずこう答える。「自分の夢を追い求めることですよ」と。老いようが若かろうが人間は必ず自分の夢を持っている。自分や家族の居場所環境が悪くなってもいいと思っている人はいない。

◆幸いにも日本人は資本主義かつ民主主義の世界である。資本主義世界とは「もっともっと」と自分や家族の生活の向上を求めることを是とする。つまり「夢を求めるには最適の世界」なのである。共産主義国家ではソ連邦の崩壊のような予期しない政変でもない限り、個人の努力ではどうにもならない。資本主義社会では夢を求めるのも求めないのも個人の自由である。夢を実現しようと求める人と求めない人では結果が大きく異なることは、明治・大正・昭和の歴史上の先人達が示してくれている。坂本龍馬の夢は「日本国の洗濯」であった。

◆老いていても「もう遣り残したことはない」と言い切れる人は数少ない。そのくらい人間というものは自己に欲するものがある。不測の事態を予期し、早め早めと物事に挑戦する姿は美しい。事実この歳まで相当数のことを成し遂げてきたのだから、今後も出来ないわけがない。問題なのは逆に若き人達にありそうだ。近隣の若者に「夢はなんですか」と質すと、何か古い世界の質問のように受け取られることがある。夢実現には古い世界も新しい世界もない。自分が将来何を目指しているかという単純なことなのだ。ありすぎてしょうがないというのが我々の青春時代だったはず。資本主義の表現ではないが「もっともっと素直」に考えて欲しい。

◆いろいろな人に原稿を書くことを勧め、毎月10人ぐらいの原稿を見させていただいている。業界に携わる方々である。ほとんどが業界の将来を憂い、良くしたいと真剣に考えている。これも一種の夢実現を求める行為であろう。はっと驚かされるような著述に出くわすこともある。自身大いに学ばされる。お互い自分を進化させたい願望が強いのだろう。これは切磋琢磨ということである。人間社会、個が願望実現を求め努力することが夢実現に向かい、社会を浄化させることになる。老いも若きも自分の夢実現に切磋琢磨することが社会正義だと了解して欲しい。

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