◆今日も歯医者で麻酔を打たれてしまった。麻酔をするとろくにうがいも出来ない。思うように筋肉が動かず、ちゃんとしているようでも水が漏れ、涎掛けを濡らしてしまう。不思議な感覚だ。そして麻痺の恐ろしさを感じてしまう。人は麻痺すると「頭では正常に考えているつもりでも、行動は異常になってしまっている」ということなのだろう。このことに新聞業界に携わる人々は気がついていないのだろうか。そうとしか思えないこの数年の担当員、販売店主の行動が横行している。

◆「一部の増に喜び、一部の減に涙を流す」が新聞販売人の原則であった。今、この原則を忠実に厳守していると公言出来る新聞販売人は一人でもいるであろうか。「折込の急減のために儲からなくなりました」と嘆く人が大半。ここには残紙の話はない。某新聞社幹部はこう語った。「折込は昔に戻っただけ。肥大した私生活を元に戻せず、残紙の増大(納金の増と入金の急減)に誰も触れられないのが現状」。確かに販売店が提出する資料には、公然と数百の残紙(何故か百単位が多い、さすがに千以上書く人はいない)が報告されており、担当員も店主もそれは承知している。かつては数百の残紙がもしあっても隠され、店主も埋めようとしたものだ。事実2,3百なら小生も埋めたことが何度もあるし、埋まったものだ。それも今は不可能なのも事実である。

◆問題なのはこれ以降、担当員と店主の会話の中で、相互にこの残紙には触れないことが暗黙の了解事項になってしまっていることだ。当初は店主も恐々担当員に相談していた向きもあったが、問題をすり替え自己責任にされるケースも出てきてしまい口をつぐむようになった。担当員も全体が数百報告する状態になると手が出せなくなり、それはさて置いてとなった。こうして残紙問題は相互暗黙の問題と放置され、飲み会でのみ「冗談じゃない。いったい誰の責任だ」と一緒におだを上げる。朝まで飲んでも問題は一切解決していない。再び下を向いて歩く。こんな状態を相互麻痺関係と呼ぶのではないか。

◆増える環境にはない、ウェブに侵食され続けるのをじっと待っている状況では全体が生き残るすべはない。自業自得とはいえ自分だけは生き残らなければならない。他はどうであれ自分だけはこの呪縛から解き放たれる手法は何か。近隣と傷を舐めあっている暇などない。プロは知っているが実は5月、6月はチャンスであった。このような少ないチャンスを細かくとも確実に生かしていくのも手である。その為にちょっとだけ先を読め。そして仕組め。誰が自分を救ってくれるのか。渦中の人だけではあるまい。アウトサイドから全体を眺め、ピンポイントに焦点をあてる。激流の中にも穏やかなポイントはあるはずだ。歯科の麻酔は2時間でとれるらしいが、環境の麻痺は自分で脱出するしかない。

愚か者ほど出世する/ピーノ アプリーレ
¥1,575
Amazon.co.jp