◆身の周りでは知人の店主の業界撤退が頻繁に発生している。折込入と残紙を抱えたための経費増に経営が耐えられなかったケースがほとんどである。小生の知人たちは従来「残紙を持たないことで有名な頑固者」たちであったはずだし、入減が訪れたのだからより一層残紙は持たないはずなのに何故なんだろう。この答えを知りたくて何人にも話を聞いてみた。答えは同一に「販売店の立場は弱いんですよ」というものだった。頭脳もよく、弁も立つ人達をしてこう言わすのだから、それ以外の人は押して知るべし。N紙、S紙は二十数万取紙を切ったし、A紙も少しだけだが取紙を切って大台を割った。不思議なことだがY紙は紙切りの代わりに新社屋建設を発表した。時代をどう見ているのだろう。

◆Y紙の社内では1,000万部のことは普遍、タブーである。販売に携わる者はこれを前提に話さなくてはならない。議論することは許されない。小生の如くの「本当に業界を思う」感性の発言は疎外される。昨今の記事を見ていると、販売以外のセクションでも同様なのかと想像される。かつて務臺さんは「編集第一主義」を唱え、外向きにもコンテンツ(商品)が一番重要としていたが、今その風潮はない。担当員と販売店主の会話(担当員訪店時)においては、1,000万は普遍の前提となる。そして販売局が希望する部数をどう達成するか、が話題である。そこにはこの数年間の垢がありこの現実をいかに避けての話となる為、話の内容は空洞となってしまう。要は店主は言いたいことも言えないということになってしまう。

◆かつてのY系は「いかに強い販売網を作るか」で喧々諤々。「それは社側の言い分」「もっとこうした方がいい」「ここまでは責任もってやる。その時担当員さんはどう動くの」「いやまだまだ努力が足らない。もっとできるのでは」というような議論が延々と。酒が入ろうものなら夜中まで。店を出て帰ろうとすると、紙が来ていて、従業員にばれないよう「さも今店を出てきたそぶりをするために後ろ向きで歩いた」という笑い話もあるくらい。本当に真剣だった。小生は「大きく増やし、大きく儲けよう」と掛け声をかけると、すごい反応で強い手ごたえを感じるといった具合。社は紙が増え、店は儲かるという本当の運命共同体だったのである。ある○○会幹部が言った。「社と店の車の両輪の話はどこへいったのでしょう。」

◆今回も現役の店主さん達の話を聞く機会があった。不満、不平ばかりを言う彼らに「自己主張がない。自分のやり方をはっきり言ったほうが良いのでは」と苦言を呈したところ、やはり「店を取られそうで恐くて言えない」という。どうして「言わないと担当員も誤解してしまうよ」と話すと「言っても紙が切れないことは分かっている。担当員さんは『回絶対』の考え方から脱却出来ていない。現実からの議論にならないから。」かねてより小生は「新聞販売店の弱点は世間からクレジット(信用)がない」ことだと繰り返し言ってきた。今の新聞社と販売店の関係は益々それを助長する状態に陥っている。このことにいち早く気付き、立て直すことを期待する。

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