★春、来たりとともに人間社会ではそれぞれの人に人生上の変化が訪れる。大学進学・就職・人事異動。確かにそれが大きな転換期になることも多い。国家政策ゆえのことかもしれないが、今中国、韓国ではいい大学に入ろうとして異常な過当競争が演じられている。ちょうど40年前の日本でも受験戦争という戦争があった。「おいで悲しや受験生~」という歌もあった。小生も含め当事者には本当に「砂を噛むよな」一時であったと記憶している。まるで競争に負けたものは人生の失格者の烙印を押されるかのような気持ちにされる。では現実に受験で第一志望に入れなかった小生の40年後とはそんなものであっただろうか。相変わらず「猪突猛進の状態で自信過剰、正義は死せず」と公言している有様。落ち込む小生に当時、祖母が「一年遅れても何にも関係ない。60歳も61歳も同じじゃ」といった通りになった。

★過日、某後輩の人事昇格祝いにお邪魔した時、小生の言に一同聞き入っていた。「人生いいことは一割。9割は思い通りにいかない」。「正義心と恩への感謝、そして自分の夢さえ忘れなければ十分ではないか」と。そしていつものように余計なことを言ってしまった。「こんな時いつもつまらない奴が出る。魂までも放棄してゴマすり、こびへつらい自分を見失う奴だ。こんな奴は自ら自分の信用を無くすことを知らない。そして後で後悔しても遅い」。

★近年の若者の意見を聞くと、冒険心と自信がないせいか「外国には行きたくない」、就職難からか「一生この会社にいたい。年功序列制がいい」と起業心を持つ者が少ない。過日のテレビでは「学食に一人で食事できない大学生」特集まで放映される始末。一人で生きられないから、指示されて生きていく「つまらなくとも楽」を求める人が多いと聞く。この症状は若者だけではない。特に団塊の次の世代に多いように思える。小生の周りには多い。人の親として独り立ちしているはずなのに、こんな情けない、夢の無い背中を子に見せているから、凛とした日本人が育ってこないのだろう。

★何が恐いのだろう。小生、会社を辞める時、お世話になった恩師の前で「たかが○○会社」と発言し、叱られるかと思ったら逆に誉められた。「やっとその域に達したか」という意味である。馬鹿にする必要はないが、それより自分の人生を大切にせよ、ということである。媚び諂って、自分を貶め、大切に育んできた仲間さえも裏切る、こんな必要は全く無い。そして一番いけないのは間違いなく後に後悔することである。この後悔は回復できない。いつも人から後ろ指を指されているようなものである。そこまでして勝ち取った世界からもいつかは去らねばならない。その後は惨めである。誰も相手してくれない。人生は短いようで長い。自分が困った時助けてくれる人がいなくては生きていけない。そのことを思うのが魂。魂まで売ってはいけない。

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