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僕らは争いたいワケじゃない,マスメディア,情報操作

今日もまた、頂いたメールとの
やり取りをシェアさせてもらいます。


興味深く感じる方も多い話題

なんじゃないかと思います。


〜引用ここから〜

わたし、すっごくすっごく金山さんに
意見を聞きたいことがあるんです。

それは、

 

近頃の韓国や中国の領海侵犯・

不当占拠といったニュース

 

なんですが、
金山さんはどう思われますか?


わたしは、これらのニュースに

すごく反応してしまって、

 

自分で辛くなるので、
観ないように、

 

あまり考えないようにしてます。


どうやって考えたら自分が

楽になるのかも考えるんですが、

 

私には関係ないことだと思って
 

自分の視界から

観えないようにしても、
 

その出来事が無くなるわけでもなく。


ここは日本の領地だとして自衛隊を

配置したら良いと思うのですが、

 

昨日の終戦記念日を迎えて、
戦争は嫌だなと。

かといって盗られるままも嫌だし・・・

とものすごく葛藤しています。


分かってます。

私の人生の出来事ではないのですが、

 

でも私の心の一面では

あるので困ってるんです。


そこで、スピリチュアル的にも

悟ってる人たちって、
 

どう考えてるんだろうと

聞きたくなったんです。

もし良ければ、

聞かせて頂けませんか?

お忙しい中、

くだらないことでごめんなさい。
 

よろしくお願いします。

〜引用終わり〜




このメールに対して、僕がお返しした
メールも引用しておきます。



〜引用ここから〜

おはようございます、金山です。
メールどうもありがとうございます^ー^

僕は、自分が生まれ育った日本という

国のことは好きですが、でも、

 

『国』というものには

縛られずに生きています。


日本という『国』の存在を考えたとき、


国土や国民、目に見えるものだけに
囚われる必要はないと思うんですよね。


人間の存在が、肉体や心だけに

依存するわけじゃないのと同じで、

 

日本という国も、関わる人たちに

共有されてるもの、ですよね。

ちょっと抽象度の高い考えなので、
実感はわきにくいかもしれませんが。


人が亡くなっても、その人の存在は、

 

関わる人たちの心や

現実から失われないのと同じで、


モノや、『国』という概念も、

一度存在したものは、
 

カタチに依存せず、

 

関わる人たちの存在に
映し出されて

 

共有され続けるものなんです。


所有や分離のパラダイムに

囚われてると、
 

目に見えるものの増減とか優劣に
一喜一憂してしまいますよね。


自衛隊に守ってもらうとか、

外国人を敵視する、ってのは、

 

まさしく自我の壁を固くして、
 

エゴを強くするような

行為だと思ってます。


国土や国益が損なわれると、

 

まるで自分の中の何かを

奪われたような気持ちに

なってしまいますが、


それはただの『思い込み』

であり『幻想』なんです。


国や組織と同化してしまってると、

そういう思い込みを強くし、

 

結局『組織のエゴ』
利用されてしまうんです。


第二次大戦中の悲劇も、

 

現代社会の自殺者、いじめなんかの

問題も似たような構造だと思ってます。


大切なのは、個人が

『自立』することだと思います。


日本人としてのアイデンティティを

しっかり持った人が、

 

海外でたくさんの人と関わりながら
活躍すれば、それが日本という国の、

 

本当の意味での国益になる、と思ってます。


このお話、返事を書いてるうちに

興味深くなってきたので、
 

また改めて、ブログ記事にでもして

考察してみることにします。

興味深い投げかけを

どうもありがとうございます^ー^

〜引用終わり〜




で、ここからがまた、

大事なことなんですが、
 

テレビや新聞、

ネットの情報にしても、

表向きに報道されている

ことのウラには、
 

必ず、何ものかによる、

何らかの『意図』が込められている、

 

ということです。


『何ものか』というのは、

特定の個人や団体に限らず、

 

『集団意識』という実体の
ないものの場合も多々あります。


大切なのは、

目に見えるものだけに囚われず、
 

背景にある情報

(コンテキスト)を意識する、

ということです。



領土問題、国際的な嫌悪感、

愛国心を煽ること、

これらの話題は、

人々の心に届きやすく、

そのために、

一部の人間の権益のために、
 

多数の人々を

コントロールするための、

いわゆる『プロパガンダ』

によく利用されます。


こういう構図は、人類の歴史を

振り返れば、いくらでも観えてきます。



かといって、上にも書きましたが、

これらが、特定の『何ものか』

による陰謀だと考えるのも、

短絡的な思考だと言えます。


そもそも、こういう

社会通念的にデリケートな
話題というものは、

 

根底の部分に、


『他人を敵視し、

 エゴの壁(分離意識)を強化する』

というワナが潜んでいるんです。



『特定の何ものか』

によるものではない、
 

というところが、

また一つのポイントです。


人類の意識は、

まだまだ進化の途上にあります。


個々の未熟な意識が寄り集まって、
『組織のエゴ』ができあがり、

『集団意識』として、

 

非人道的な考えに人々が支配・コントロールされてしまうのです。



こういう、

人の心が本来持つ危険性のことは、


仏典でも聖書でも『悪魔』とか

『サタン』とかいう

 

言葉で説明されています。



個人的に、

感情が反応してしまうのは、
 

自我の習性として、

しょうがないことです。


でも、それを過剰にふくらませ、
他人を巻き込んでいくことこそ、

それこそ、

 

『悪魔』たちの思うつぼだ

 

ってことです。
 
 
参考記事:
悪魔の所業!陰謀論と精神汚染と魔女狩りの危険性について




一人ひとりの人間は、本質的に、
必ず『良心』というものを持っているし、

人の痛みというものも

理解できるものです。


僕らは争いたいワケじゃないんです。



それが、『集団意識』の一部となり、
『組織のエゴ』に取り込まれると、

恐ろしいほどに、

 

他人(敵と認識するものたち)

に対して攻撃的になり、

 

冷酷・残酷にふるまえるのです。


こういったメカニズムで起こる悲劇は、
もう十分に繰り返されてきました。


人類は、もうそろそろ

学んでもいい頃だと思ってます。



奇しくも、つい先日、僕のメンターが、
Facebookで興味深いことを語ってました。


こちらも引用しておきますね。


〜引用ここから〜

僕が思うには、やっぱり、

「誰と関わって生きていきたいか?」

という「愛」が重要だと言うこと。


そう言えば、この話しは

 

2010年に横浜で
800人を集めてセミナー

した時にも話したなぁ(笑)


僕は「愛」とは、

関係性だと思っている。

要するに「関係していたいかどうか」

これが、愛しているかどうかで、

その意味で言えば、
 

僕が積極的に関わるもの・こと

は全部「愛している」と言える。


ちなみに、世界的なアイデンティティ

の喪失の反動は、他者への拒絶を生み、

 

疎外を生み、いじめを生み、
「攻撃する」という形で現れている。


つまりは、

「他者を拒絶する人間ほど

 アイデンティティが無い」

ということだ。



「何かを拒絶する=私は存在する」

 

という方法でしか、
 

自分の生きている実感を

感じられなくなると、
 

これはもうかなりヤバい(苦笑)


居酒屋で上司の愚痴に

花を咲かせる

サラリーマンとか、

 

モンスターペアレントとか、

いじめとか、クレーマーとか、
 

身近なところで

顕在化しているのがまた怖い。


愛して行こうぜ(笑)なんてね。

ちょっとキモイな(苦笑)

〜引用終わり〜


『組織のエゴ』という

悪魔に乗っ取られないためには、

 

『個の自立』
 

つまり、

アイデンティティを確立すること、

表現を変えれば、『愛を知ること』、
本気で『関係』すること、



これがポイントではないでしょうか??



世の中には、まだまだ

『悪魔のワナ』が満ちています。


『心の自由』

『情報リテラシー』がないと、
 

こういうワナにカンタンに

引っかかっちゃうので、
 

注意が必要ということですね。

 

 

 

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