サトリってどんな人?
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必然とは,すべては必然の意味すること,いまここ

僕自身の中で、『覚醒』
自覚が高まってくる過程で


『すべては必然』


ということに対しての
確信が深まってきました。




ですが、その一方で、


『すべてが決まってるなら、
 がんばってもムダなのか?』


『努力はむなしいもの?』



という、普通の感覚で言えば、当然の
ように持ち上がる疑念を自分の中で
うまく消化しきれていませんでした。



人生で自分の身に起こること、

言い換えると、経験すること。


自分の中に浮かぶ思考や受け取る感情、

身を置く状況や出会う人たち、

形成されるキャリア、歩む人生。



自分自身の選択で選んでいるように見えて、
それが『すべて必然』というのなら、


自由意志も、選択の余地も、そして、
未来への期待や希望というものもないのか?



理屈の上ではそうなるのでは?
という拭えない疑念。


感覚的には、『必然』とはそういうものではない、

という確信はありつつも、それをまだ、しっかり
言葉で表現できるレベルではなかったので、
これまで、あまり深くは語ってきませんでした。



ですが、ここにきて、また新たな気づきを
得られたので、この場でシェアしようと思います。




『すべては必然』という言葉を使うと、


『不幸な現実の中にいる人たちを前に
 しても同じことが言えるのか?』



と、目くじらを立てる人がいることもわかっています。


ただ、起こることが『必然』
ではなく『偶然』だとして、


『もしかしたら違う現実があったかもしれない』


と叶わぬ思いを持たせることや、

今の状況に対して、


『かわいそうに』


と同情することが、その人の生きる力
を引き出すことにつながるのか?


僕はそうは思いません。



現実はただ『在る』のみ。

起こったことは変わらず、
変えられるのは『視点』であり、
それによって生まれる『解釈』なのです。



『必然』というのは『執着』『抵抗』という、
自我の生み出す幻想の中でも、特に厄介なもの、


そういうものを『存在レベル』
で否定できる概念なのです。



起こることに偶然はなく、『すべて必然』
だということが本当に理解できれば、


『そんなはずはない』

『そんなのイヤだ』

『そんなの見たくない』

『ずっとここにいたい』



という、苦しみを生む思考が
すべて意味を成さなくなります。


ものごと・現象についての認識が、
一番土台となる『前提』のレベルで変わるのです。



ただ、『偶然の否定』は、
『未来の希望』と表現できるもの
まで奪い去るわけではありません。



あなたが、『いまここ』で、
未来に対して、ワクワクと心躍るような
ビジョン・感情を受け取ったなら、


そのビジョンがもたらす可能性が
『必然』としてあなたの人生、

『あなたという存在』の中に
加わったということです。



スピリチュアル的に言うと、

『波動が高まる』

ということです。



これは、『あなたの存在』を構成するものが、

素粒子レベルで波動(エネルギーの状態)
を変えた
、ということです。



ここでフォーカスを向けるべきなのは、

ビジョンそのものではなく、波動の高まり、
つまりは『感情』の方です。


ビジョンとは、『感情』に対する、
自我による『解釈』であり、


主体となるのは『感情』という
純粋なエネルギーの方です。



ビジョンそのものが、現実化するのではありません。
引き寄せの法則でよく誤解される部分です。



『感情』という波動の高まりが、
あなたの人生、あなたの存在の
レベルが上がったことを意味します。


意識は未来に向いているのかもしれませんが、
そのビジョンに対する『感情の高まり』
『いま』にあります。



人生は、過去・現在・未来と切り離された
時間の集まりではなく、

『いま』の流れ、と表現できます。



いまこの瞬間、ワクワクし、
心が躍る、ということは、

『あなたの人生が高まっている』

ということなのです。



『感情の高まり』という原因が、
素晴らしい『未来』という結果を
引き寄せるのではなく、


『感情の高まり』=『人生の高まり』


ということです。


すべての原因と結果は同時に起こるのです。
これが『必然』という意味です。



では、逆に、暗く沈んだ感情、苦しみ、
悩むこと、すべてのネガティブ感情、


それは、『人生の下降』という
避けられない『必然』なのでしょうか?



気休めを言ってもしょうがないので言います。

それも『必然』なのです。



人によっては、そういったネガティブ感情
から逃れられず、『人生の下降』
とらわれ続けることもあるのです。



ただ、あなたがもし、そうした
ネガティブ感情の中に、ほんの少しでも
ポジティブな面を見出し、そこに
フォーカスを向けられたなら、


たとえば、

『この経験でどういう
 学びを得られるだろう?』

『この経験によって、自分の人生は
 どのように上向くだろう?』


といったように、起こった現実の中で
肯定的な側面にフォーカスを向けられれば、


それが、『人生を高めるという必然』
になるということです。



原因と結果が同時に起こる、という必然、
これは、自然の摂理、ものごとの道理
なので、変えることはできません。


『必然』は変わらないのです。



ですが、

『希望を持ち続ける者は、
 希望に満ちた人生を歩む』


ということは言えます。



それは、『幸福な人生』と表現
できるものではないでしょうか?


そして、『希望を持つ』という選択の
主導権は、いつ、いかなるときも、

何者によっても、それこそ、
神の手によってさえも、


あなたから、決して奪われる
ことのないものなのです。


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