お疲れさまでした! | 佐野光来

佐野光来

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  駅のタクシー乗り場からタクシーに乗り込むと、「なんだかなあ」とか「はあ」とか「ううん」みたいな運転手さんの音が漏れ続けていて、さすがに聞こえないふりができずに「どうしたんですか」と尋ねると、喋りだすので、話を聞けば、「さっき、チェッカーの車がね、タクシー乗り場で、ほら僕の後ろに止まってたでしょう、あそこのキクチくんっていうのとね、よくあの乗り場で一緒になって、いろんな話しをしたんだよね。最近キクチくん見かけないなあと思っていたんだけど、そしたらさっき後ろに止まってたチェッカーの人が降りてきて「うちのキクチがお世話になりました」って言うんだよ。なんだろうと思ったら、亡くなってしまったんだって。39だよ、、若いのになあ、、、」大きく吸い込んだ息を、ゆっくり長く吐きだすときみたいな、つなぎ目のない丁寧な口調で、運転手さんは話したけれど、こんなふうに誰かに、話を聞いてもらわなくちゃ、情報が体のなかで膨らみ続けていっぱいになって怖いとき、あるなあと思って、なにも言えなかったけれど、相槌しか打てなかったけど、キクチくん、で、満ちた車内のなかで、私も長く息を吐いて、会ったこともない人の命とか、運転手さんの握るハンドルの手や背中に向かって、「どうか、どうか、、」とよく分からないけど思ったりして、時間も痛みもこんなふうに一瞬、共有できる不思議について、人間について、悪くないな、と思ったりした。
  相手の気持ちになってってことばがよく口をついてでるんだけれど、ほんとは誰の立場になんかなれないことを分かってて、だから、痛みとかそういう類の部分は共有するの不可能だろ、と思ってて、わからないのだからわかってほしくもわかり合いたくもないと閉ざしていたときもあるんだけれど、一緒に悩んだり考えたり唸ったりすることは絶対に、できる。少なくともそういうつもりで生きていれば、そういう瞬間に出会える、のだと最近はそんな気がしている。

  積み重なってゆく日々を、大切にして、ダメなときはときどき放り出したりもして、また来年も同じようにやってゆこう。

  2018年も、お疲れさまでした!