●ジャイアンリサイタル | 佐野工船~演出家、脚本家、女装、俳優の仕事~

佐野工船~演出家、脚本家、女装、俳優の仕事~

それは、劇団東京ミルクホール佐野バビ市の社会に対する怒気、演劇、廃墟、競馬、歴史、こち亀等、その世界観に迫る駄文工作船。忘れたころに更新。

ここから先、取り乱すと思うので前置きから。

役者◎
脚本?
演出、苦痛。

発狂しそうだ。
拷問である。
小劇場に閉じこめられて125分。
3日間に感じた。

今、とある劇団の公演を観た。
14:00開演、16:05終演。

初めて観た劇団。
知り合いが一人出ているだけで、ほかにどんな方々で構成されているか知りません。
役者さん、素敵な人が揃っていました。小劇場の世界では粒揃いではないか。
脚本…?悪くないと思う。
つーより、演出が最低で内容が全く頭に入ってこない。

苦痛!苦痛!苦痛!

どんな演出が最低なのか?
基本的なことである。

声量のバランスがとれていない

演劇用語に「がなり芝居」という言葉がある。
たた叫ぶ、怒鳴る、ひたすら声を張り上げる芝居である。
今日がまさにそれ。
役者が悪いんじゃない。
それを判断するのは演出家の仕事だ。
芝居の内容、劇場の環境、稽古場と劇場での変化、そういったものを総合判断し声量を役者に指導するのも演出家の仕事です。
だから小生は、現場に入ってから場当たりという、スタッフのテクニカルの段取り中心の時間でも、役者に本意気の声を出してもらう。
体力的に消耗するから申し訳ないのだけど。
そうしないと役者、劇場、音響、照明のバランスの判断がつかないからです。
音響さんにも、申し訳ないくらい音のレベルに口を出します。
それでもスピーカーの近くのお客様は爆音の犠牲になったり、最後列のお客様には小さく聞こえたり、全てのお客様にベストな環境で音(声)を楽しんでもらうのは難しい。
個人的な耳の良い悪いもありますし。

しかし今日は最後列に座っててあの異常な声量。
前の方に座っていたら確実に死んでいた。
70人も入らない劇場でひたすら叫び続ける!

苦痛!苦痛!苦痛!激痛!

よほど帰ろうかと思いましたが、自分が席を立って帰ることで他のお客様の集中力の妨げになるのが申し訳なく、我慢の子。

叫んだっていいんです。
怒鳴ったっていいんです。
それが、生。
ライブですから!
しかしそれは演出的でないといけない。
効果的に!
それなのに125分叫び続ける!
無意味に!

騒音!雑音!

役者の口から発される内容が届くわけがない。
ゆえに脚本の良し悪しだってわからない。

汚い音を125分聞かされるのは精神がもたんっ!
ゲシュタポの手口だ。

逆に言うとあれだけのがなり芝居で声を潰さない役者陣は立派だ。
お客様にお越しいただく舞台という“仕事”の場で声を潰して出演する役者は廃業した方がいい。
声が潰れそうな役なら、全力でコンディションを整え、お客様に悟られてはいけない。
(稽古時の演出家による過剰な稽古で声を潰されてしまう可哀想な役者さんもいるのだが…)
今日はそんな役者はいなかった。立派!

話がそれた。

精神崩壊に向かっていた小生も、ここに思いをぶつけることで落ち着きを取り戻し始めた。
あとでちゃんと冷静になったら削除するかもしれない、この怒りのブログ。
とりあえずアップだ。