「大勢に従った道」を誠実に歩んだ人間にも老後の孤独が待っていた。
だがさすがに、エリートの場合はフツーの人とは違うはずである。大勢に従った道をトップでひた走りする一握りの選ばれた人間には「ゴール後」も輝かしい日々が待っているに違いない。
しかし、次のようなニュースが流れたことはまだ記憶に新しい。
収賄逮捕の東大院元教授が吹聴していた皇族との関わり 飲み会の席で診察経験を自慢げに披露 東大は「お答えを控えさせていただきます」(NEWSポストセブン)
収賄逮捕の東大院元教授が吹聴していた“皇族との関わり” 飲み会の席で診察経験を自慢げに披露 東大は「お答えを控えさせていただきます」 日本最高峰の大学の看板に泥を塗った前代未聞の醜聞。その渦中にある医師は、なんと皇室にも関係する人物だった。明治以来、150年近くにわたり紡いできた皇室と東大の歴史に傷をつける、不謹慎な言動を詳報する。
「○○は、東大が設ける民間との共同研究の仕組みである『社会連携講座』を舞台に、民間団体への不当な要求を繰り返していました。餌食となったのは、消費者・企業からの相談窓口、教育、研究開発を行っている団体『日本化粧品協会』。…贈賄の容疑で書類送検された協会の代表理事は『(講座において)民間団体は東大に研究してもらう立場。講座を閉められないためにも月に2回ほどの接待を求められるままに続けていた』と証言しており、膨れ上がる一方の接待費や佐藤容疑者の度重なる強要・恐喝に耐えきれなくなって、告発に至ったようです」(警察関係者)
最高学府の権威をかざし、超エリートを鼻にかけ、既得権益の上に胡坐をかき、相手を見下して「たかり行為」をエスカレートしていった人間。自分だけならともかく、勤務先の大学における社会的信用まで失墜させてしまった責任は重い。また、自分ばかりでなく家族に与えた精神的負荷は想像に余りある。「大勢に従った道」を進むと、人生の後半で取り返しのつかない状況に陥りかねない。晩節を汚すほどつらくみじめなことはない。
しかし、「大勢に従わない」すなわち「集団に距離をとる」場合は、「自分の周囲や時代の流れに身を任せずに自分独自の生き方を模索する」ことになる。これは楽なことではない。
アスファルト舗装の「安全な道」を横目にして、凸凹に波打っている道に踏み込む。先には石ころが転がっていて、ぬかるんでいる道も続いている。失敗に耐え、危険を恐れず、手探りで前に進まねばならない。
なぜ、わざわざ「歩きにくく見通しが悪い道」を選ぶのか。「大勢の中の一人」ではなく、自分を中心においた人生を歩みたいからである。たとえ経済的に恵まれなくとも、『ああ、 生きている!自分の生み出す世界がある、分かち合う人たちがいる!』と思える日々でありたいからである。次回は、そうした「凸凹道」を選んだ人たちを見てみたい。

