「大勢に従わない」すなわち「集団に距離をとる」場合は、「自分の周囲や時代の流れに身を任せずに自分独自の生き方を模索する」ことになる。これは楽なことではない。
経済的困窮どころか、時代や政治的状況によっては、身の危険さえ脅かされることになる。現代でも、独裁体制の国家では、当局の手によって「拘束・暗殺」が実行されている。
数十年前のドイツ・ヒットラー総統による弾圧は記憶に新しい。反体制を貫いた文化人・芸術家は、「魔の手」から逃れつつ作品を発表するために亡命の道を選んだ。映画人チャップリンの『独裁者』や演劇人ブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子供たち』は、独裁者の化けの皮をはがし、戦時体制下に巻き込まれる普通人の実態を提示し、スクリーンから舞台から観客に投げかけた。
美術家で特筆すべき生涯を送ったパウルクレーについて触れておきたい。
1933年のナチス政権の成立とともにはじまった前衛芸術の弾圧はクレーにも及び、批判も激化する。美術学校からの休職の通達やアトリエの家宅捜索を受けたクレーは身の危険を感じた妻リリーの促しもあり、生まれ故郷のスイス・ベルンに亡命した。
「芸術は見えないものを見えるようにする」と主張していたクレーの作品。
…この頃の作風は手がうまく動かないこともあって、単純化された線(色のある作品では太い場合が多い)による独特の造形が主なものとなる。一時期は背もたれのある椅子に座り、白い画用紙に黒い線を引くことにより天使などの形を描いては床に画用紙を落とすことを繰り返していた(その天使の絵に心を打たれた詩人谷川俊太郎は『クレーの天使』という詩集を出している)。
●「谷川俊太郎「ポール・クレーの絵よる「絵本」のために/《黒い王様》1927」より
※「クレーの絵本/1995年講談社刊」
ベルンのショースハルデン墓地にあるクレーの墓石には「この世では、ついに私は理解されない。なぜならいまだ生を享けていないものたちのもとに、死者のもとに、私はいるのだから」というクレーの言葉が刻まれている。
※引用:フリー百科事典ウィキペディア

