演劇の三要素は「戯曲・俳優・観客」である。役者が演じ、客が観て楽しむ。表現される世界の土台となるのが戯曲である。近代になって、劇場に舞台装置が組まれ照明設備が発達すると、上演効果全体のプランニングを担う責任者が必要とされて、「演出」という要素が加わった。時代が進むにつれて、上演行為の頂点にこの演出者が君臨することになる。ともすると、戯曲=劇文学を自分の表現行為の素材として扱い、「原作」の改変・修正が珍しくなくなる。もちろん、長大な劇や脇筋の多い戯曲の場合、上演時間内に収めるために<枝葉>を払い観客にドラマを明快に伝える「テキストレジー」は許される。

 しかし、戯曲に書かれている「舞台指示(ト書き)」、特にそれが劇世界の重要要素となっている場合はそれに従わねばならない。なぜなら、その劇の本質から外れる結果を招くからである。アーサー・ミラーの世界的名作『セールスマンの死』を例に検証してみたい。  

 

(長大なト書きの一部抜粋)…空からの蒼い光だけが家とその前面を照らしている。周辺の部分はオレンジ色の不気味な色に輝いている。あかりが増すにつれて、この小さなたよりなげな家を圧するように、がっしりとした高層アパートの群が立ちはだかっているのがわかる。この場所には、なにか夢のような感じがただよっている――現実から立ち昇ってくるような夢の感じが。…家の前には張出し舞台があり、舞台前面から観客席に向かって弓なりに突き出している。この前の部分は裏庭、およびウイリーが心の中で想いえがく場面や、彼が市中で演じるときの場所として使われる。…(倉橋健訳/ハヤカワ演劇文庫)

 

 この戯曲は初め‘The inside of his head’というタイトルで構想された。したがって、主人公にとっての「現実と幻想/現在と過去の混在」が劇世界となる。その表現には、照明の変化および前舞台という空間が欠かせないことが示されている。日本での上演も当初はこの原則が守られていたが、近年は演出家によって「原則」にこだわらない上演が目立つようになっている。

『セールスマンの死』上演に思う

2013-03-25 19:17:29

 

 

 2026年7月~8月に埼玉・大阪・愛知・富山・長野で上演されたプロデュース公演(演出:小川絵梨子/主演:イッセー尾形)も、夫婦の寝室を上手2階に変更した装置や時間のフラッシュバックや幻想空間としての「前舞台」は設定されていなかった。

『セールスマンの死』は主人公の深夜の帰宅から翌晩の自殺までの24時間、場所と時間の一致という<三単一の法則>が守られていて、しかも「過去が全て露わになった時に主人公の破滅が起きる」というこれまた古典的な<回顧破裂式>に則っている。

この劇のサスペンスは、強く自信に満ちていたセールスマンが社会から取り残されてゆくプロセスと、長男が主人公を嫌う理由(何があったのか)が明らかにされる場面までの進行にある。前者では。アラスカで莫大な財産を手にした兄ベンからの誘いを断った後悔が幻想となり、後者では、息子への罪意識が幻想をもたらす。それが、照明効果と前舞台と本舞台という空間でダイナミックに展開されるところが見どころだ。

 今回のプロデュース公演では、父子間の対立・葛藤は描写されていたが、総じて写実的な演出にとどまっていて、幻想と現実の交差というこのドラマの根幹は表現されていなかったのである。