14日(木)の九州での地震。
本当にびっくりしました。
と同時に、お住まいの方たちはさぞ不安でしょう。
一連の地震が一分一秒でも早く収束することを願ってやみません。
さて・・・
なんやかやと、色々とブログネタを提供してくれる実家の我が母・・・
その意味では2月3月と本当に頑張ってくれました。
それとは別のところで、とある計画が進行しておりました。
それは・・・だいぶ前から話があるにはあったのですが、なかなか実行に移せずにいました。
その計画とは・・・
脊椎(おそらくは腰椎)にガンができその治療の為山口県にある自宅を離れ高知に移っているダンナの弟のお見舞いに行く!ことです。
それも、長野県にあるダンナの実家により、義兄と義母を連れて・・・です。もちろん、ダンナの運転する我が家の車で・・・。
ご存知の方も多いかと思いますが、私は運転免許は持っていません。義兄は、自宅の近くならば運転しますが、もう車で遠出はしたくないそうです。
つまり、運転するのはダンナ一人。
おまけに、義母・・・7,8、年くらい前に胃ガンの手術をしています。この時胃の2/3を切除しています。そんなことをほとんど感じさせないくらいに元気と言えば元気ですが・・・齢84歳。
しかも、同居しているわけではないので、普段の様子や体質など、細かなことは全くわかりません。何かと心配の種は尽きません。
そして、57歳にして、いまだに体力には自信のあるダンナ。ダンナの辞書には「過信」の二文字はないらしく、取得するお休みを最小限にして、途中の休憩もSAかPAに車を止めて仮眠するだけにして、2日間で全行程を走りとおすという無茶苦茶な計画をおったてました。アホかコイツ・・・いや、絶対アホだ・・・。
そして、計画の決行が3月の25、26日と決まったのが2月の下旬。
母が入院するちょっと前頃です。
私、正直、高知まで行こうかどうしようか、迷いました。
入院した母はもちろん、実家に一人でいる父も心配です。
かといって、何かと無茶をするダンナや高齢の義母も心配。義兄にも心配な要素が無きにしも非ず・・・で
それに、毎週末には高知に来ている義妹のK子さんにも久しぶりに会いたいし・・・。
で・・・結局、行くことに決めました。
2月の28日に国家試験を終え、戦列に復帰した妹に相談したところ、快諾してくれたので・・・
まず、ダンナの無茶苦茶な計画を翻させるべく、方策を練りました。
が・・・私の頭では、飛行機で高知まで飛び、義実家と現地で合流。そこからの移動はレンタカーを借りる。それくらいしか浮かびません。
ところが、飛行機の料金って高いんですね・・・。
LCCを使った料金でも、早割を使った料金でも、ダンナは「高速料金+ガソリン代の方が断然安い」と言って納得しません。
「ふだん、ロクに休みも取っていないから、お父さん(ダンナのこと)の身体も心配だし、お義母さんも車に乗っているだけでも疲れるんだよ~」という泣き落としも失敗。
そこで・・・たまたま電話をかけてきた義母に泣きつきました。隠れ冬彦さんのケのあるダンナ、義母の言う事なら聞くに違いない・・・
ところがなんとダンナは義母の説得も「大丈夫だから~」の一言であっさり却下。
こうなると、次の手を考えねば・・・と思っていたところ、なんと義姉が高知までの中間地点よりやや実家寄りの彦根にあるホテルを予約してくれました。最初、SA内で1泊1500円で車を止めるスペースがあるので、そこを・・・と言っていたのですが、なんと、そこが予約で満杯。ならばと最初は神戸、大阪あたりのホテルをあたってくれたそうですがそこも満杯。後で気づいたんですが、春の甲子園センバツと大相撲大阪場所が重なっていたんですね。で、やっととれたのが彦根というわけ。ダンナは最初、もっと高知寄りの場所はなかったのかと、ブツブツ言っていましたが・・・私としては大感謝です。
おまけに、ダンナ休みがさらに2日取れました。これで、25日から28日までの4連休。今の会社に勤め出して以来の超大型連休です!!
ふだん、ロクに休みも与えずにこき使ってたので、気が引けた所長が大盤振る舞いをしてくれた・・・のかどうかは知りませんが・・・
そして、高齢の義母対策として、同居していて普段の義母の様子を良く知っている義姉にも一緒に来てもらう・・・これはあえなく撃沈
なんと26、27日に実家近くで大きなお祭りがあり、それに甥っ子二人が子供連れで実家に帰って来ることになったのだそうで・・・。これでは義姉に来てもらうのは到底無理・・・諦めました。
その代り、義姉からの情報収集は抜け目なく・・・おまけに、仕事柄お年寄りに詳しい娘から「移動中もできるだけ水分をとらせて、最低でも2時間ごとには車から降りてストレッチとまではいかなくっても、歩き回るなどの運動を」とアドバイスをダンナにしてもらいました。狭い車内に押し込めたままでは、エコノミークラス症候群が怖いですからね・・・特に高齢の義母は・・・。
で、高知についてからの事は、電話で義妹のK子さんと話しながら決めました。
最初は義弟宅に行き二人を乗せ、どこかゆっくりできそうなお店にでも行って・・・ということだったのですが(義弟宅はとっても狭いので大人数の訪問は無理ということだったので)、義弟が普通の座位をとるのも苦痛な状態なため、結局は義弟宅で昼食でもということに。その昼食も、義弟宅は独身者向けの作りのアパートの為満足な炊事設備もなく、食事の用意は無理らしいので、途中のSAかコンビニで調達するという手はずになりました。
そして、K子さんからのお願いが・・・
義兄はかなりのヘビースモーカー。
義姉や義母にうるさく言われているので、自宅にいる時でも室内では決して喫いませんが、しょっちゅう玄関先でスパスパやっています。
我が家に来たとき、我が家に喫煙者はいないことを良く知っていた為室内では喫いませんでした。ただし庭でスパスパ。
屋外で喫っても、義兄の周りはかなりたばこのニオイが・・・
で、義兄と同様かなりの愛煙家だった義弟のところでは、遠慮なしに室内で喫ったらしいのです。前回、義兄と義母と甥っ子の3人で高知までお見舞いに行った時に。
ところが、義弟は高知に来た時から禁煙していたのです。
K子さんの話ではこの時義弟はかなりつらかったそうです。
たばこが嫌いな者にとってたばこのニオイがかなりつらいものです。義弟の状況が、単に禁煙しているが為のつらさなのか、それとも、治療のおかげで煙を受け付けなくなっているのか、それは私にはわかりませんが、義弟かなりいや~~な顔をしたそうなので、よほどつらかったのでしょうね。
義兄にはお願いするしかないと、ダンナ(もちろん事前に根回しはしました)や義母、義姉のいる前で、できるだけ下手(「ヘタ」じゃありません、「したて」です)に出て丁重にお願いしました。もちろん、ギャラリーが加勢してくれることを見越してです
それから、もう一点。
義弟、7,8年くらい前にうつ病になったそうです。この時は回復したものの、最近ガンの状況がかなり厳しくなってきていて、そのせいでかなり落ち込んでいるのだそう。うつ病再発?
そうでなくとも辛い状況で自宅を離れて慣れない一人暮らし。元々積極的に他人と関わろうとする性格ではない義弟は案の定あまり外に出ることはなくほとんどひきこもり状態。不通に座っている姿勢でも辛いのですからわからないでもないですが。
で、義弟が落ち込むキーワード・・・。
「がんばれ」「負けるな」など激励する言葉。
そして、涙・・・。
この二つを避ける・・・かなりキビシイなと思いました。
激励する言葉は、何の気なしにまたは、他に適当な言葉が思いつかない時に出てきてしまいます。
ならば言い換える言葉を提示すれば・・・と思いましたが、いい言葉を思いつかず・・・言わないで・・・としかお願いできませんでした。
涙・・・高齢の義母にこれをお願いするのが一番心苦しい・・・結局できませんでした。K子さんごめんなさい。
そんな下準備を進めて、決行まで1週間を切った19日・・・
↓の記事の事態に・・・。
母、脳梗塞・・・
右半身がマヒ状態・・・
もうダメ。高知までなんて行けない。
半べそでダンナに言いました。
が、ヤツの返事は
「大丈夫だから行こう。高知までなんて滅多に行けないんだし。」
たしかに、滅多に行ける場所ではありません。
この機会を逃したら、いつまた行けるか・・・それよりも、下手をしたら義弟にはもう会えないかも・・・
しかし、「大丈夫だから」って、なんの根拠があって???
こういう場合、しつこく追及すると、ダンナはキレたり不貞腐れたり・・・ともかくいいことがありません。
なんで、ギリギリまで様子を見ることにしました。
で・・・3日目。母の様子を見に行った妹からのメールでは、なんと母回復・・・
病院に呼ばれた時には何を言っているのかさっぱり聞き取れなかったのに、会話は立派に成立。手足も少しではありますが動くようになっていたとのこと。
で、翌日私が行った時にはリハビリしていました。
100%安心というわけではないけど、不安が付きまとうのは、母が生きている限りずっとのことになります。ならば・・・と、病棟のスタッフさんや担当のケアマネさん、そして、妹や父にお願いし、母にも義弟の所に行くからね・・・と言って、腹を括りましたよ。
3月25日の午前3時半、我が家を出発。ダンナの実家には午前8時ごろ到着。お昼まで休憩させてもらって、出発。彦根には午後5時くらいに到着。その晩は彦根のホテルで一泊。6時に朝食、7時に出発。途中、娘のアドバイス通り2時間ぐらいごとに休憩。トイレという名目でしっかりお散歩?午後1時ころようやく義弟宅に到着。
思っていたよりも義弟は元気に見えました。
でも、普通に座るのはつらいのかベッドに腰掛けはしていますが常に腰を半分浮かして上半身をどちらかに倒して・・・という姿勢。もしかしたら、私がいなければ横になれたのかなぁ~とも思いましたが・・・。
あとで、K子さんに聞いたら、痛み止め(種類はわかりませんが、すでに麻薬が処方されているそうです)は私たちが着く少し前に飲むように言っていたのに、かなり早めに飲んでいて、その上いつもだと一日に1個しか使わない痛み止めをこの日は3個も使ったそうです。疲労や興奮もあったのかと思います
私達、特に、高齢をおして会いに来る母親には辛い顔は見せられないという、義弟の思いやりだったのでしょうね。
それに、K子さんとふたりの時は痛み止めの副作用でトロトロと半分眠ったような状態でいる事が多いそうでしたが、この時は、眠気など微塵も見せず、楽しそうにおしゃべりに興じて・・・といったようすでした。きっと義母も安心したことと思います。
2時間ほどして、義弟宅のあるアパートの前でみんなで写真を撮り別れました。
義母が気になりましたが、なんとかこらえてくれました。きっと一番つらいのは義弟なはずだからと思ったんでしょうね。
帰り道、神戸大阪間で少々渋滞に巻き込まれましたが、なんとか、その日のうちに長野の実家に到着。
翌日、義姉からお祭りの話や甥っ子たちの話を聞き、お昼過ぎに実家を出発、自宅には夜、8時ころ帰り着きました。
3/26 高知に向かう途中で休憩した神戸のPAから撮った風景。
淡路大橋?て言ったっけ???
こういう大きなつり橋を渡るのは大好きです。
帰る途中。淡路島のSAの展望台から撮った瀬戸内海。
向こうに見えるのは多分四国。
ここから3枚も同じ場所から撮りました。
海も山も好きなんですが、瀬戸内海、大好きです。父が瀬戸内海の島の出身ということもあるんでしょうね。
行くまでにいろいろありましたが、まずは無事に行って帰ってこられてよかったです。
お義母さん、お義兄さん、お義姉さん、義弟Kくん、義妹K子さん・・・ありがとう&お疲れさまでした。
ダンナ・・・お疲れさま。
そして、快く送り出してくれた、。お父さん、妹、と妹のダンナのYさん、ケアマネのUさん、病棟スタッフの方々、ありがとうございました。
最後に、お母さん、がんばってくれて、ありがとう。
すっかり忘れていました・・・