2024.05.19

中露の強い同盟関係が世界に示した日に駐日米大使が米軍の最前線基地を訪問した 

 ウラジミル・プーチン露大統領は中国政府の招待で5月16日から17日にかけて同国を訪問、歓待された。習近平国家主席との会談で両国が戦略的同盟国だということを世界に示している。事実上、中国とロシアは軍事同盟を結んだ。その中露同盟を潰そうとしている米英の好戦派は虚勢と嘘で世界に君臨している。日本の「エリート」はそうした好戦派に従属、中露同盟と戦争する準備を「粛々」と進めている。

 

 アメリカのラーム・エマニュエル駐日大使はイスラエルに忠誠を誓っていると言われるほどのシオニストで、好戦派だ。そのエマニュエルが5月17日、与那国島と石垣島を訪れ、陸上自衛隊の駐屯地や海上保安庁の巡視船を視察したという。アメリカはロシアや中国の周辺に長距離ミサイルを配備、戦争の準備を進めてきた。

 

 ​そうした戦略に関する報告書をアメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」も発表している​が、それによるとGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画だ。専守防衛の建前と憲法第9条の制約がある日本の場合、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたとされていた。その計画に基づき、2016年には与那国島でミサイル発射施設が建設されている。










 

 韓国の場合、2013年2月から韓国の大統領を務めた朴槿恵は中国との関係を重要視、THAADの配備に難色を示していたのだが、朴大統領がスキャンダルで身動きできなくなっていた17年4月にはTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムの機器を強引に運び込んだ。その後、朴槿恵は失脚した。2019年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも自衛隊の軍事施設が完成、ミサイルが配備されることになる。

 

 こうしたミサイル配備に限らず、アメリカ軍の動きについて日本では「防衛」を前提に議論されてきたが、アメリカの軍事戦略は第2次世界大戦の終盤から一貫して先制核攻撃である。「核の傘」などは笑止千万だ。

 

 アメリカはイギリスからの要求で核兵器の開発を始めた。1940年2月にバーミンガム大学のオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスのアイデアに基づいて「マンハッタン計画」は始まり、MAUD委員会なるものが設立されている。この委員会のマーク・オリファントがアメリカへ派遣されてアーネスト・ローレンスと会ったのは1941年8月。そしてアメリカの学者も原子爆弾の可能性に興味を持つようになったと言われている。この年の10月にルーズベルト大統領は原子爆弾の開発を許可、イギリスとの共同開発が始まった。

 

 1943年には核兵器用のウランとプルトニウムを製造するため、テネシー州オーク・リッジに4施設が建設され、そのひとつはオーク・リッジ国立研究所へと発展した。ワシントン州に建設されたハンフォード・サイトではプルトニウムを製造するため、1944年9月にB原子炉が作られている。

 

 この「マンハッタン計画」を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将(当時)は1944年、同計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。日本やドイツがターゲットだったわけではない。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 

 1945年7月16日にニューメキシコ州のトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功。7月24日にハリー・トルーマン米大統領は原子爆弾の投下を許可、7月26日に「ポツダム宣言」が発表された。そして原爆は8月6日に広島、8月9日には長崎へ投下される。

 

 1945年2月、クリミアのヤルタ近くにアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、ソ連のヨシフ・スターリン首相が集まり、その席でソ連の参戦が決まっていた。その期限に合わせてアメリカは原爆を投下したのだ。

 

 その頃からアメリカ軍の内部にはソ連に対する先制核攻撃を計画するグループが存在したが、その中核にはSAC(戦略空軍総司令部)のカーティス・ルメイが含まれていた。

 

 当時、いかなる制約もなしに東アジアで中国やソ連を核攻撃できる場所は沖縄しかなかった。そこで沖縄に基地を建設し始める。1950年代に「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められたのだ。

 

 1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵を動員した暴力的な土地接収が実施され、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。

 

 1956年6月に公表された「プライス勧告」の中で沖縄は制約なき核兵器基地として、アメリカの極東戦略の拠点として、そして日本やフィリピンの親米政権が倒れたときのよりどころとして位置づけられている。

 

 1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァーはイギリス軍の影響下にある軍人で、ルメイの同志だった。ドワイト・アイゼンハワー時代の1960年にJCSの議長に就任するが、次のジョン・F・ケネディ大統領とは対立、再任が拒否されている。

 

 ルメイのSACは1954年に600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%を殺すという計画を立てた。1957年に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市に落とすることになっていた。

 

 その頃、アメリカではICBMの準備が進んでいて、​レムニッツァーやルメイを含む好戦派は1963年後半までにソ連を先制核攻撃しようと考える​。まだソ連がICBMの準備ができていない時点で攻撃したかったのだ。その作戦の障害になっていたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。ケネディを暗殺したのはソ連、あるいはキューバだとする話が流された意味はそこにある。

 

 こうしたアメリカの計画はソ連の核能力が高まったことで不可能になるのだが、ソ連の消滅でアメリカの核攻撃に報復できる国はなくなったと考える人がアメリカの支配層に増えた。​そうした雰囲気を示す論文が「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載されている​。アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てると主張しているのだ。

 

 南オセチア、シリア、ウクライナでの戦闘でロシア軍の強さが明確になり、アメリカ/NATO軍は太刀打ちできないことがはっきりしたのだが、世界制覇を夢見るアメリカの好戦派は「神風が吹く」と今でも信じているようだ。

 

 中国との戦争で最前線になるであろう与那国島と石垣島を訪問したエマニュエルは好戦派であると同時に、筋金入りのシオニストでもある。彼の父親、ベンジャミンはエルサレム生まれで、シオニスト系テロ組織のイルグンのメンバーだった。ジョー・バイデン大統領は兄のエゼキエルを「COVID-19諮問委員会」のメンバーに指名している。