Tw(最近XというXな名に改名)では
今回の火事よりずっと前から、
角栄はベトナム戦争の際自衛隊を派遣せよと
日本の実質上の宗主国から言われた際
日本には憲法9条があるからそんなことはできないと断った
ということが盛んにーといってもわたしがフォローしている人の間で・・だろうが―
盛んにとりあげられており、
もちろんそれは素晴らしいことだったのだが
角栄の最大の功績は
何といっても日中国交回復。
そして日中国交回復の意味はどこにあるのかというと
このとき毛沢東・周恩来中国がつけていた条件を容れたことだったのだ。
その条件とは
「二つの中国は認めない」。
つまり
「台湾」という国家は認めないということ。
”一つの中国”は社会主義国なのだから
”自由主義陣営”ー資本主義国だとされる―からは
とんでもないことだと扱われてきたし、扱われているのだが、
それと国交がないほうがいいのかということは別問題。
中国と国交がなかったのは1970年代の一時点まで
日本も米国もそうだったのだが、
先に中国と国交回復したのは角栄日本だった。
こんなことが最近の自民党の対米隷属議員にできるか。
(というか米国の“さらに上”=新自由主義勢力=国際金融資本―さらにその上が
いるとい話だが―ビルダーバーグ会議とか―が世界の民衆にとっての最大の敵だが)
米中国交正常化 (y-history.net) (「世界史の窓」というページで、
物足りない、不正確な記述もときにはあるが
とても勉強になる。)から転載↓
1971年のキッシンジャーの中国訪問から始まった米中国交回復の動きは、72年のニクソン大統領の訪中を経て、79年のカーター大統領の時に実現した。
1970年代に、それまで東アジアにおける共産政権としての中華人民共和国を敵視する政策を続けていたアメリカの外交方針が大きく転換した。米中国交回復の動きは、ベトナム戦争の行きづまりを打開しようとしたニクソン大統領の側近キッシンジャーによって極秘裏に着手され、1971年の中国訪問から始まり、1971年7月15日に、来年2月のアメリカ大統領ニクソンの中国訪問が発表され世界を驚かせた。ニクソンの訪中は1972年2月21日に行われ、毛沢東と会見、米中共同声明(上海コミュニケ)で相互に相手国の主権を認め、平和共存五原則に基づく国交を開くことで一致した。
米中の正式な国交回復
1972年には米中双方による事実上の相互承認が行われたが、正式な国交正常化ではなかったので、さらに両国の協議が続けられ、1979年1月1日に鄧小平が中国の要人(副主席)として初めてアメリカを訪問、カーター大統領との間で米中の国交正常化で合意された。
台湾問題の解消 この交渉では台湾問題が最も厳しい交渉となったが、結局アメリカは台湾からの駐留軍を撤退させる代わりに、武器援助は続けることで妥協が成立した。その結果、アメリカは台湾政府(中華民国)と断交し、1980年に米華相互防衛条約が失効した。これで中国の建国以来の脅威となっていた台湾海峡危機は解消されることになったが、21世紀になって中国の大国化が顕著になった結果、再び緊張が生じている。 → アメリカの外交政策
次は外務省のHP
外務省: 日中国交正常化45周年・日中平和友好条約締結40周年を迎えて (mofa.go.jp)から転載↓
Vol.1682018年6月26日
日中国交正常化45周年・日中平和友好条約締結40周年を迎えて
日本と中国は,2017年に日中国交正常化45周年,2018年に日中平和友好条約締結40周年という,節目の年を迎えました。この機会に,両国のこれまでの緊密な友好協力関係を振り返るとともに,今後の展望について解説します。
■両国の新たな歴史の出発点-日中国交正常化
1972年9月29日,当時の田中角栄首相と中国の周恩来首相は,北京で共同声明に署名し,「恒久的な平和友好関係を確立する」ことで一致しました。これがいわゆる「日中国交正常化」です。その1ヶ月後,日中両国の友好の証として,中国から日本へ,初めて2頭のパンダ(「カンカン」と「ランラン」)が贈られたことでも大きな話題となりました。その後,1978年8月12日に日中平和友好条約が署名され,両国は歴史の新たな一頁を開くことになりました。
■ますます緊密化する交流
国交正常化以降,両国の経済関係や人々の往来は緊密化していきました。貿易総額は45年間で,約10億ドルから約3000億ドルに増加。中国は日本にとって最大の貿易相手国であり,現在約2万3000社の日系企業が中国に進出し,現地の雇用にも貢献しています。一方で中国にとっても,日本は米国に次ぐ2番目の貿易相手国であり,対中直接投資額は第3位,進出企業数は第1位となっています。また日本は中国に対し,これまでに総額3兆円を超えるODA(政府開発援助)を実施しています。観光で両国を訪れる人々の往来も活発化しており,2017年に日本を訪れた中国人の数は,736万人と過去最高を記録(日本政府観光局統計)。一方,中国を訪れた日本人の数は約259万人(2016年中国国家旅遊局統計)であり,1日当たりの渡航者で換算すると,中国へは1日約7,100人の日本人が,日本へは1日平均約2万人以上の中国人が来日していることになります。
■日中国交正常化45周年,日中平和友好条約締結40周年
最近の日中関係における大きなトピックスと言えば,2017年の日中国交正常化45周年,そして2018年の日中平和友好条約締結40周年が挙げられるでしょう。1972年の国交正常化,1978年の平和友好条約締結以来,あらゆる分野において友好で互恵的な関係を発展させてきた両国にとって,両年はまさに節目の年。日中間の幅広い交流の年にしていくために,地方自治体,企業,民間団体等が協力し,様々な交流行事が実施されます。公式ロゴマークは,2007「日中文化・スポーツ交流年」時に使用したロゴマークを継続して使用。Japan-Chinaの頭文字「JとC」を組み合わせ,ハートを(心)を形作っているこのマークは,日中交流の基本は「心と心の交流(ハート・トゥ・ハート)」であることを表しています。
■全公演が4日で売り切れた「松竹大歌舞伎北京公演」
交流事業の皮切りとして実施されたのが,「松竹大歌舞伎北京公演」です。2017年3月18日から20日までの間,北京天橋芸術センターにて開催され,歌舞伎の荒事の芸を見せる『鳥居前』,上方和事の代表作の一つ『封印切』,そして『藤娘』という歌舞伎の人気作を,中村鴈治郎丈,中村芝翫丈,片岡孝太郎丈などの豪華な配役で上演。計5回の公演チケットは,発売開始後4日間で完売となりました。初日には萩生田内閣官房副長官(当時),横井裕駐中国日本国大使らが出席し,計4,200名を超える観客が日本の華麗な伝統芸の世界を堪能しました。また,同年6月13日から16日には,同じく北京で,環境をテーマにした「日中グリーンエキスポ」を開催。日本の最先端の環境技術や製品・サービスを紹介したこの見本市では,4日間で約3万人もの人々が来場しました。
もっともこの国交回復により、
今は日本は見えにくい形で中国に侵略―いや、武器を使っているわけではないので
侵食と呼ぶべきか―されているのではあるが。
だがだからといって国交回復をすべきではなかったとは絶対に言えない。
角栄といえばロッキード事件なのだが、
このとき多くの人が角栄が収賄をしたと勘違いしたのではないか。
しかしマスゴミにでてきたのは外為法という法律だけだった。
角栄に非常に親しい女性がいて、角栄はロッキード事件の報を
その女性の家で聞いたそうだが、その女性が書いている本によると
そのとき角栄は「アメリカにやられた」と言ったそうである。
アメリカというかその”上”はロシアの地が欲しいというのは
桜井ジャーナルさんが言うとおりではないか。
しかしウクライナでロシアに敗け、自作自演であるハマスによる攻撃を
端緒としたガザ完全占領も、なかなかうまく運ばない。
中国が台湾を侵攻した、中国は世界の敵だ、という図式を
どうしても作りたい、日本はその図式でピエロをやれ、そして早く憲法を変えて
自衛隊をどんどん戦地に送れるようにしろ―その指令が、
放火の意味だ―もしほんとうに放火だとすれば。
傀儡岸田が能登半島の地震被災者救済に全力を尽くすべきときに
憲法改正(正しくするという意味はない。最近検索すると正しくする、と書いてあるが、
それは誤り)すると息巻いていることに、恐怖を感じる。