すばらしい新世界  ウィキペディアから↓

 『すばらしい新世界』(すばらしいしんせかい、Brave New World )は、オルダス・ハクスリーが1932年に発表したディストピア小説である。
 概要
 発表された時の書評は否定的な内容のものばかりだったが、未来を予見することの多いSF小説の中でも、その洞察の深さから昨今とりわけ高い評価を受けている作品である。機械文明の発達による繁栄を享受する人間が自らの尊厳を見失うその恐るべき逆ユートピアの姿を、諧謔と皮肉の文体でリアルに描いた文明論的SF小説であり、描写の極端さが(多くのSF小説にあるように)きわめて諧謔的であるため、悲観的なトーンにもかかわらず、皮肉めいたおかしみが漂っている。本作は、ジョージ・オーウェルの『1984年』とともにアンチ・ユートピア小説の傑作として挙げられることが多い。登場人物の名前に「マルクス」「レーニナ」「モンド」「モルガン」といった有名人の名を付けている。また、人工子宮で胎児を育てる話などJ・B・S・ホールデンの「ダイダロス、あるいは科学と未来」Daedalus or Science and the Future(1923年)に多大な影響を受けている。

 作品のタイトルはシェイクスピアの戯曲『テンペスト』に登場するミランダの台詞「O brave new world」第5幕第1場の引用である(この場合のbraveは「勇敢な」ではなく、bravoと同じで「素晴らしい」の意味)。

 世界観
 西暦2049年に「九年戦争」と呼ばれる最終戦争が勃発し、終結後、全世界から暴力をなくすために安定至上主義の世界が形成された。その過程で文化人は絶滅し、それ以前の歴史や宗教は抹殺され、世界統制官と呼ばれる10人の統治者による『世界統制官評議会』によって支配されている。大量生産・大量消費が是とされており、キリスト教の神やイエス・キリストに代わってT型フォードの大量生産で名を馳せた自動車王フォードが神(預言者)として崇められている。そのため胸で十字を切るかわりにT字を切り、西暦に代わってT型フォードが発売された1908年を元年とした「フォード紀元」が採用されている。

 人間は受精卵の段階から培養ビンの中で「製造」され「選別」され、階級ごとに体格も知能も決定される。ビンから出た(生まれた)後も、睡眠時教育で自らの「階級」と「環境」に全く疑問を持たないように教え込まれ、人々は生活に完全に満足している。不快な気分になったときは「ソーマ」と呼ばれる薬で「楽しい気分」になる。人々は激情に駆られることなく常に安定した精神状態であるため、社会は完全に安定している。ビンから出てくるので、家族はなく、結婚は否定されてフリーセックスが推奨され、つねに人々は一緒に過ごして孤独を感じることはない。隠し事もなく、嫉妬もなく、だれもが他のみんなのために働いている。一見したところではまさに楽園であり、「すばらしい世界」である。

 あらすじ
 時は、フォード紀元632年(西暦2540年)、中央ロンドン孵化・条件づけセンターに務める最上層階級アルファに属するバーナードは、少し様子がおかしく、人の集まる場所を避け、恥ずかしさに顔を赤らめる、他の人々には理解できない行動をしていた。そんなバーナードの友人はヘルムホルツ。優秀すぎるがために孤立している男だった。

 ある日、バーナードは恋人レーニナと蛮人保存地区へ旅行へ出かけ、そこで生まれ育ったジョンという青年と遭遇した。ジョンは事故で蛮人保存地区に取り残されたベータ・マイナスの女性リンダの息子であり、父親はセンターの所長であることを、バーナードは旅行直前の所長の会話との符合から気づき、出自から蛮人保存地区で孤立していたジョンとリンダを文明社会に連れ帰る。

 物珍しさからジョンはいちやく時の人となるが、当然、ジョンがいた蛮人保存地区と、バーナードたちの文明社会では常識がことごとく違うため、摩擦が起きっぱなしである。蛮人保存地区にたまたま残されていたシェークスピアの古典を諳んじるジョンの目にはこの社会はどうしようもない「愚者の楽園」としか見えない。バーナードの社交の見せ物とされ続けることを拒否して自室に閉じこもったジョンは、密かに恋心を抱いていたレーニナの訪問を受ける。しかし、プラトニックな騎士道的恋愛とその後の結婚を求めるジョンを理解できないレーニナは直截なセックスを求め、ジョンはこれを激しく拒絶する。

 直後、連絡を受け駆けつけた病院で危篤の母を見舞う。ソーマの快楽に溺れる母リンダを「死を恐れない条件反射教育」のために連れてこられた子供たちに邪魔をされつつ看取ったジョンは怒りに駆られ、病院から町に飛び出してソーマの配給を妨害し、駆けつけたバーナード、ヘルムホルツと共に逮捕される。そして世界統制官ムスタファ・モンドのもとに連れて行かれ、ついにこの世界の全貌を説明された。

 世界統制官との問答の後、フォークランド諸島へ島流しとなるバーナードとヘルムホルツとの別れののち、ジョンは都市を離れ田舎の廃屋で一人自給自足の生活を送ろうとするが…。

 登場人物

 バーナード・マルクス(Bernard Marx)
 中央ロンドン孵化・条件づけセンターの心理課に勤務する心理学者。本来の階級はアルファ・プラスではあるが、胎児のときに職員の手違いからガンマ階級の姿で生まれてしまった。そのことから劣等感に苦しみ、孤立している。
 ヘルムホルツ・ワトソン(Helmholtz Watson)
 バーナードの友人でアルファ・プラス階級の感情技術者。完璧にアルファ・プラスな外見の美男子かつ非の打ちどころのない社交家で、感情工科大学創作学部の講師を務める傍らジャーナリストや脚本家としても才能を発揮している非常に優秀な男であるが、それゆえに周囲の人間と違っているという孤独を感じている。
 レーニナ・クラウン(Lenina Crowne)
 ベータ階級の保育士で、胎児に予防接種を打つ作業をしている。センターのアルファ階級男性のほぼ全員と寝たことがある美女。
 ジョン・サヴェジ(John the Savage)
 蛮人保存地区で生まれ育つが、シェイクスピアの全作品を愛読している。文明社会に行き、好奇の目を向けられる。「Savage」とは「野蛮人」の意味。
 所長(The Director)
 中央ロンドン孵化・条件づけセンターの所長でバーナードの上司。名前はトマス(リンダは彼をトマキンと呼ぶ)。バーナードを疎んじてアイスランドのセンターへ左遷しようとしたが、本人も知らなかった息子ジョンの存在と「父親」になったことを暴露され、失脚。その後の行方は不明。
 リンダ(Linda)
 ジョンの母親。ベータ・マイナス階級だったが、若い時に所長と蛮人保存地区へ出かけ、一人はぐれた挙句、避妊処理ができなかったことで彼の子供を身篭ってしまった。そのため、保存地区から出られず、しかしインディアンの生活に適応することもできず、年老いてすっかり醜くなった。
 ムスタファ・モンド(Mustapha Mond)
 西ヨーロッパ駐在統制官で世界統制官の一人。賢明で人間社会に対する洞察に満ち、冷笑的でどこか優しい憂愁さえたたえた哲学的な指導者。

 用語
 階級(カースト制度)
 大きく分けてアルファ・ベータ・ガンマ・デルタ・エプシロンに分けられる。またそれぞれの階級にプラス、マイナスの区別が存在する。階級ごとに服の色が異なり、階級ごとに就ける職業が定められている。
 アルファ(α)、ベータ(β)
 知識人、指導者階級。ボカノフスキー法を使わず、一つの受精卵から製造される(生まれる)。顔やスタイルは美形が多く、知的な教育を受けているのでジャーナリストや政府省庁の職員、大学教授などの職業に就いている人間が多い。
 ガンマ(γ)、デルタ(δ)、エプシロン(ε)
 下層階級。ボカノフスキー法を使い製造される。下の階級に生まれた人間ほど、背が低かったり、鼻がつぶれていたりと容姿がひどくなっていく。さらに階級が下の赤ん坊は、育てる段階から、わざと酸素を送る量を減らしたり、血液にアルコールを混入するなどをして、知能や身体機能を意図的に下げられる。成長中の睡眠教育の段階でもアルファ・ベータ階級とは違う内容の教育がされ、エプシロン階級では延々と労働をしても疑問に思わないように教育を行う。しかし、あらゆる予防接種を受けているため病気になる事は無く、60歳ぐらいで死ぬまで、ずっと老いずに若い。
 ボカノフスキー法
 一つの受精卵から大量の子供を作る方法。プフィッツナーとカワグチという2人の人物によって発見された理論とされている。一つの受精卵から96人までの人間が製造可能。安定した社会の維持のためにはボカノフスキー法による人口の維持は必要不可欠となっている。
 睡眠教育法
 睡眠時に同じ言葉を繰り返し語りかけることによって行われる教育。この教育方法により階級制度・社会の倫理観などが寝ている間に教育される。基本的にこのとき教育された内容は一生涯忘れることはないとされる。九年戦争以前にもこの睡眠教育法の実験が行われていたが、効果は今ひとつで普及しなかったという。
 九年戦争
 フォード紀元141年(2049年)に始まったとされる最終戦争。大量の生物化学兵器や大量の爆弾が使われ、世界のあらゆるものが破壊され世界経済は崩壊した。戦争終結後に消費活動の強制政策(国民に毎年一定のものを必ず消費させるノルマ)が取られ、その過程で文化人による『良心的消費拒否運動』が行われたものの、マスタードガスや機関銃などですべて殺されたとされる。その後、当時の大統領は武力では何も変えられないと結論に達し、武力を廃止しそれと同時にフォード紀元の採用と戦争中破壊されずに残っていた博物館(大英博物館など)や歴史的建造物(ピラミッドなど)といった文化的な遺産はすべて閉鎖され爆破された。
 ソーマ
 安定した社会を維持するための要素の一つ。二日酔いなどの副作用のあるアルコール飲料の代わりとして、フォード紀元178年(2086年)に2000人の化学者に研究助成金が支給され、開発された副作用のない薬。アルコールとキリスト教の長所のみを融合させ、宗教的陶酔感と幸福感と幻覚作用をもたらす。アルファ階級からエプシロン階級までのすべての人間が日常的に使用しており、半グラムの錠剤を3錠ほど呑むと「ソーマの休日」の夢世界に入れる。
 蛮人保存地区
 ニュー・メキシコにある、インディアンが昔ながらの生活をそのまま続けている地区。人口は約6万人。保存地区は電気の流れた鉄線で覆われており、地上からでは出入りができないようになっている。そのためこの地区に入るためには空路でしか入ることができない。

 翻訳
 渡邉二三郎による初訳のみ「みごとな新世界」で、以降は「すばらしい新世界」と訳されている。

 『みごとな新世界』 渡邉二三郎訳、改造社、1933年。
 「すばらしい新世界」松村達雄訳、『世界SF全集』第10巻、早川書房、1968年。ISBN 4-15-200010-4。 のち講談社文庫 
 『すばらしい新世界』 高畠文夫訳、角川書店〈角川文庫〉、1971年。
 『すばらしい新世界』 黒原敏行訳〈光文社古典新訳文庫〉、2013年。

 参考文献
 小松左京 『天変地異の黙示録 人類文明が生きのびるためのメッセージ』 日本文芸社〈パンドラ新書〉、2006年6月。ISBN 4-537-25401-7。

 外部リンク
 Online edition of Brave New World
1957 video interview with Huxley as he reflects on his life work and especially Brave New World
Aldous Huxley: Bioethics and Reproductive Issues
 A Defence of Paradise-Engineering. A critical review of Huxley's novel by David Pearce.