「宇宙への旅立ち」さんが三島由紀夫が「オレは
昭和天皇がきらいだ」と言っていたと書いていらっしゃるので、
確かめようと検索してみたら、
三島を―嫌悪しつつ惜しんでいる不思議なサイトが
見つかりました。
 三島の派手な自殺は天皇を諌<いさ>めるためのもの
だったのですね。
 「きらいだ」という語は見つかりませんでしたが、
敬愛していたわけではなかったことがわかりました。
 http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/misima.html より↓
 

スプリングボード


人は外に向けていた攻撃的エネルギーを自分自身に向けることで自殺する、というのが精神分析派の考え方である。

例えば事業家は、攻撃的エネルギーを仕事に振り向けて懸命に働くが、どう頑張っても潰れそうな会社を立て直すことが不可能だと悟ると、エネルギーを自身に振り向けて自殺する。仕事を辞めてからも、事業に向けていた攻撃的エネルギーはそのまま残り、別の攻撃対象を探して自分を殺すことになるのだ。

三島は自分を認めなくなった知識人に戦いを挑み、ボクシングジムに通い、空手初段になって見せた。それだけでは不十分だとして更に戦線を拡げ、民族的伝統の擁護者になって「文化防衛論」を書いたりした。これは、戦後民主主義そのものへの挑戦を試みた攻撃的な著書だったが、話題にもならなかった。

折から、安保反対の風が吹きまくっていたから、好機到来とばかり彼は「敵」の牙城東大に乗り込み新左翼の学生たちに論戦を挑んだけれど、これも三島特有のパフォーマンスと受け取られて三面記事的な興味を呼んだだけだった。彼のやることはすべて空転し、「やはり僕の行跡がたたっていましてね。何をやったって信じてもらえない」と述懐するような結果になるほかなかった。

三島の攻撃的エネルギーが反転して自分に向かった時期に、彼の内部で自己中心主義から天皇中心主義への転換が始まったのだった。

攻撃的エネルギーが自分に向かえば、過去に演じてきたパフォーマンスへの自己嫌悪や、ジュリアン・ソレル的行動への悔恨が群がり起こる。虚偽と汚辱に満ちた過去を思い、自分のエゴ・セントリックな性格を慚愧の気持ちで反省しているうちに、三島は自分にも純な気持ちで生きていた時期があったことを思いだしたのだ。

三島は日本浪漫派に心酔し、二・二六事件の青年将校たちに涙した過去を想起した。あれほど醇乎たる気持で、天皇と国家について思いめぐらしたことはなかった。

自己中心主義を捨てて、主人持ちの身になること、これ以外に自分が再生する道はない。三島はそう思ったのだろう。そして、そうなれば死ねると思ったのである。

主人持ちの人間が死と親和することを描いているのが「葉隠」だった。武士道とは死ぬことと見つけたり、生きるか死ぬか迷ったら死ぬ方を選べ、主人が間違ったことをしたら死んで諫めよ、葉隠のどこを開いても主人持ちの人間の美徳は死ぬことにあると書いてある。

「葉隠」には自己中心的に生きる武士たちの醜さも的確に描写されていた。三島は、それを大衆社会日本に生きる現代人の肖像だと思って読んだ。

彼は「葉隠」を座右の書にするようになった。三島は「葉隠に書いてあるのは、絶対間違いない、聖書と同じでね」と確信を持って語っている。この瞬間に三島の内部で、自死に向けた号砲が鳴り響いたのである。

三島は目から鱗が落ちるような気がしたのだ。自分は子供の頃から死にあこがれてきた。そして大衆社会現象の支配する日本では、自分の生きる場所がないと嘆きながら、女々しく生きながらえてきた。そうなのだ、主人持ちの身になれば死ぬことができる。

三島は下校してから、祖母の用意しておいたオヤツを食べ、枕元に座って勉強した小学生時代の気持ちを思い出した。他者の命に素直に従うことの心地よさ。

あとで誤診であることが分かったけれど、愛する母が余命幾ばくもないと知らされたときの胸つぶれる気持ちも思い出された。母のために祈った、あのときの一念ほどに純粋なものはなかった。

古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」にはこんなやりとりがある。

-さうすると三島美学を完成するためには、どうしても絶対的な権威が必要だといふことになり、そこに……


-天皇陛下が出てくる。(笑)


-そこまでくると、私はぜんぜん三島さんの意見に賛成できなくなるんです。    問題は文学上の美意識でせう、なぜ政治的存在 であるところの天皇が顔を出さなきやダメなんですか。


-天皇でなくても封建君主だっていいんだけどね。「葉隠」における殿様が必 要 なんだ。それは、つまり階級史観における殿様とか何とかいふものぢやな く て、ロイヤリティ(忠誠心)の対象たり得るものですよね。……天皇でなく ても いい。『葉隠』の殿様が必要なんだ。

三島にとっての天皇は、ロイヤリティーの対象としての天皇であり、もっとハッキリ言えば自死へのスプリングボードとしての天皇だった。

三島の天皇主義

三島の考えている天皇は、現実の天皇ではなかった。美の総覧者・日本文化の体現者として、非人間的な徳性を備えた架空の天皇だった。だから、現実の天皇に対する三島の評価は、極めて低かった。

昭和天皇は、二・二六事件では青年将校らを逆賊と認定する過ちを犯した上に、戦後は人間宣言を行って、特攻隊員を裏切ってしまった。特攻隊員は神である天皇のために死んだのだから、天皇に人間宣言をされたら、その死が無意味なものになってしまうではないか、と三島は言う。

皇太子時代の現天皇についても、福田恒存との対談で手厳しいことを言っている。

三島:皇太子にも覚悟していらっしゃるかどうかを、ぼくは非常にいいたいことです


福田:いまの皇太子にはむりですよ。天皇(昭和天皇)も生物学などやるべきじゃないですよ


三島:やるべきじゃないよ、あんなものは


福田:生物学など、下賤な者のやることですよ

三島は現に目の前にいる天皇の内実がどうあろうと、天皇のために死ぬことを思い決めた。ひとたび、方向が決まるとそれに向かってすべてのエネルギーを集中し、自分の思いを滔々と説きたてるのが彼の癖だった。

彼の脳裏にある天皇は架空の存在なのだから、このために死ぬのは「イリュージョンのための死」に他ならない。そこで彼はこう解説するのである。

「ぼくは、これだけ大きなことを言う以上は、イリュージョンのために死んでもいい。ちっとも後悔しない」

「イリュージョンをつくって逃げ出すという気は、毛頭ない。どっちかというと、ぼくは本質のために死ぬより、イリュージョンのために死ぬ方がよほど楽しみですね」

彼の死は、天皇への「諫死」という形式を取るはずだった。が、天皇に聞く耳がなければ、その死は犬死にとなり、無効に終わる。そこで彼は又こう注釈をつける。

「無効性に徹することによってはじめて有効性が生ずるというところに純粋行動の本質がある」