ここへきてNHKがもっともらしく①若い女性さや②子どもを育てている家庭の貧困をレポートしています。
(あれれ?①でもなく②でもないのは・・・③若い一人暮らしの男性と
④若くない一人暮らしの男性と、⑤若くない一人暮らしの女性と、
⑥子どもを扶養していない家庭ですけど・・・③~⑥は経済的に楽
なのでしょうか。それともシリーズは続くのでしょうか。)
晴彩さんが、貧困者を増加させたのは小泉政権(&現政権)で、
それに対して何ら批判的報道をしなかったあんたの責任はどうなる、
ということを書いていらっしゃいます。ほんとですよね!
さらに日本の学校システムも問題だとおもいます。
憲法に義務教育はこれを無償とする、と書いてあるんですよ。
ところが税金で払っているのは教師の給料とはこもの(まあここに
動産も含めておいてください)と教科書代金だけで、なんだかんだと出費を事実上強制される。
揃いの上履き、体育用の運動着、習字セット、図画セット、裁縫セット、修学旅行積み立て等々等々。
運動着なんて動きやすいものなら何でもいいわけですよ。
習字だの図画だの裁縫セットなんて備え付けのものを買ってそれを
使わせ、破損したり不足したら補充していけばいい。
上履きは、きれいに洗ったものなら何でもいいことにすればいい。
バスケットをするのに、スリッパではできない?そもそもバスケットは
ほんとうに必要?必要としても、外用の運動靴をきれいに洗えば
いいのではないでしょうか。
何を教えるのか自体がとても恣意的に決められていますよね。
ダンスが正式種目に入りましたよね。あれ、音楽業界などの
利権が裏で動いたからでしょう?
映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」によると、体育の時間に
ボーリングをやっているとか。別にボーリングがいいと
言っているのではありませんが、何を学んでもらうのかということが
どのくらい吟味されているのかを問いたい。
修学旅行・・・これも…ほんとうに要りますか?
もともと学校は、とくに日本の場合、兵士と銃後の妻養成が
真の目的だったんですよ。
たまたま以前放送大学を見ていたら、明治の学校って、教室にどう入るか、どういう経路で席に着くか、事細かに図で示してその通りに生徒が動かなければいけないことにしてあったのだそうです。記憶が不確かですが
教師への敬礼の身体を曲げる角度まで指定があったと言っていたかも。
(この番組についてはNHKにお礼を言います)
若い夫婦が思い立って”Iターン”して農業や林業を始めますよね、
でも壁につきあたる。子どもが小学校に入らないうちは何とか
やっていける―そこで子どもが学ぶものはすばらしいだろうと
おもいます―ところが小学校でかかる諸々の費用が払えないのが
悩みの種なのだと。
教科書。
筆頭はくだらない「心のノート」。
そのほか、別に一人一冊買わなければならないほどのものでもないのに
毎年毎年各自に配布されるものは山ほどある。
これに回す費用で、ずいぶん違うことができそう。
例えば学級文庫の充実とか、地域のいろいろな人を呼ぶのに、
ボランティアではなく、1時間500円ほどでも謝礼を出すとか。
友人である国の語学に堪能な人がいますが、その友人、
その国から来ている人の子どもが小学校に通うときに、
市に頼まれて通訳のために横についていたのですが、
それ、無償でした。そんなばかなことがあるでしょうか。
この国、システム不全。