昭和天皇からのことだったとおもうのですが、

天皇の靖国参拝は行われていません。

 “A級戦犯”“合祀”以降のことのようです。

 

 先日Purinboyさんが、日本を立憲君主制国であると

コメント欄に書いてくださいました。

 これは、憲法学としては間違っている-ことになっているのですが、

政治学としては結構正しい。

 法学は規範が何かを追究する学問ですが、

政治学は現実を認識する学問だからです。

 天皇に、依然として「陛下」という敬称をつけているいる人は

少なくないし、いいか悪いかは別として、先日の園遊会で

“直訴”した議員もいます。

 規範と現実は、あまり乖離<かいり>してはいけないようです。

乖離が激しくなると規範は規範としての価値を失うので。

 が、乖離が生じたからといって規範を現実に近づける

改正(法学用語としては、「正」に正しいという意味はないそうです)

を安易にしてしまうと、これまた規範の存在意義はなくなってしまいます。

 政治学的視点に立つなら、天皇が君主であるかのような実態が、

少なくともある程度存在することは否めません。

 それを可とするか否とするか。その判断はここでは措<お>くとして、

安倍晋三氏はどう見ているのか。

 

 この人物は、天皇の意向を重んじていませんね。

 天皇が参拝は控えようと考えている(まあ宮内庁のトップの

意向なのかどうか、ほんとうのところはわかりませんが)のに、

それを黙殺したわけですよね。

 なぜそれができるのか。

 憲法に忠実で、天皇の意向は政治に反映させる必要は

ないし、させてはならないと彼が考えているからでしょうか?

 しかし集団的自衛権や秘密保護法などでの言動を

見ていると、憲法を守ろうという意識が彼にあるとは

おもわれませんよね。

 とすると、推測されるのは、田布施タブーを彼が知っており、

“今上”天皇は長州が擁立した天皇もどきの孫(多分)だと

馬鹿にしているからなのでは?

 不思議なねじれ現象です。一般的にはどちらかというと

sayoku側の山本太郎氏のほうが、今上天皇に敬意と信頼を

寄せているかのようです。