「金曜ロードショウ」さんの記事で、ベトナム戦争のとき逃げてきた

米兵をかくまった創価学会の人がいたと知りました。

 対イラク侵略のときも、日本が加担すべきではないという署名を

創価学会の中で集めた人たちがいました。

 それにくらべて、今の創価学会は、「秘密保護法」に、

知る権利条項を入れたからいいだろうとおおいばりしている

ていたらく・・・


 が、紹介したかったのは、アメリカの議会制度が日本より

進んでいること。

 金曜ロードショウさんが、アメリカが徴兵をやめたのは

ベトナム戦争以降だと書いていらしたので、ウィキペディア

「アメリカの徴兵制の歴史」という項目を見てみたら、

2004年に徴兵制の復活を求める提案がなされ、

下院本会議で2:402で否決されたという記述が見つかり、

興味を覚えました。

 日本では国会法56条というのがあり、議案を提出するのに

衆議院では20人、参議院では10人、予算措置を伴う

場合は衆議院では50人もの議員を集めなければ

ならないのです。

 つまり今の日本では2:402という比はありえない。

 けれども20(50)人の賛同がなくても議案は提出でき、

それが国民の前で議論されることが大事。

 少数者だけが気付いている重要論点もあるのだから。

 民主主義の本質は妥協なのです[芦部信喜教授]。

 妥協という語は、日常用語ではいい加減なところで手を打つ、

といった意味で使われていますが、ここではそうではなく、

徹底的に話し合って、互いに譲れるところは譲って合意

するという意味です。

 民主主義と多数決は異なる。

 よく、こんなに話し合ったのだから採決してもいいだろうと

いう言い方をしますが、その人は民主主義を理解していない。

 卑近な例ですが、団地の管理組合総会で、理事長が、提案した

規約案を、それならやめる、とひっこめたら、

わたしの近くに座っていた組合員が苦笑(嘲笑)していました、

提案したのにおかしいと。

 しかし提案したら必ず通す、通るもの、という発想のほうが

おかしいのです。

 憲法上は、どの議員も「全国民の代表」なので、

その主張をしているのはたった一人だからと軽んじられていいわけでは

ないのです。

 アメリカには日本の国会法のような初めから少数者を

排除する規定はないのだと

わかり、この点ではうらやましいと思ったことでした。

 (徴兵制復活論自体を擁護しているのではありません、念のため。)